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東北ヘルプでは荒井地区仮設住宅にて活動資金を提供し、パートナーの黒須アドボカシーの協力を得て、教 育サポートや宅地内の巡回警備、今後予定している夕食の提供など、自立支援活動を行っております。
- 子供教育サポート
専任スタッフを雇用し勉強する環境や学習習慣を失った子供達に安心して学べる場を提供し、より勉強に集 中でき、学習習慣を取り戻すための支援をボランティアの教育実習生と共に行っております。それにより、 子供達の横のつながりや、保護者が安心して働けるなど、仮設住宅のよりよい生活環境づくりに貢献してお ります。
実施は毎週、火曜日と水曜日18:00~20:00に行っています。 - 仮設住宅地敷地内の巡回警備 宅地内の治安維持や外部からの悪質な不法侵入を防ぎ、安心して暮らせる環境をつくっています。 実施は毎週1回、21:00~22:00
- 夕食援助サポート 食事の準備をすることが困難な方や、支援が必要な高齢者の方に、栄養士をお招きし栄養バランスのとれた 食事を提供することを予定しています。
仮設住宅への支援
私たち東北ヘルプは、この秋まで、実験的に仮設住宅への直接支援を行ってきました。その経験から、多くを学び、また、ささやかなりとも、被災者の皆様の歩みに伴走することができました。皆さまの御支援と、そして神様のお支えの賜物と、感謝しています。
夏の2カ月間、私たちが取り組んだ支援の様子を、以下に纏めました。ご高覧頂ければ幸いです。
秋からは、新しい支援団体「若林ヘルプ」が立ち上がり、私たちの活動を引き継いで下さいます。私たち東北ヘルプは、この新しい団体の立ち上げを支援しました。今後もこの団体への支援を通じて、仮設住宅への支援を継続し、その様子をご報告いたします。どうぞ、引き続きお覚えくださればと願います。
(2011年10月14日 川上直哉記)
8月3日
宮城教育大学の学生ボランティアの佐藤さんと藤原さんが荒井地区の子供達に学習サポートをしてくれました。子供達は10数名の参加です。小学生の低学年では集中力がない子供もおりましたが、家ではなかなか宿題を広げられない環境の子供もおり、学生ボランティアのサポートも手伝って、ここではしっかり取り組んでいました。親御さんからは、「お友達と触れ合いながら学ぶことも大事だと思う」と言われました。
8月8日
震災の影響で取り壊し予定だった、JR南小泉アパートに行ってきました。約80世帯の入居がありましたが、最上階の5階部分には入居者はなく、階段や通路をみるとかなり劣化している状態でした。花壇はほとんど手がかけられておらず、ポストなども結構年期の入ったものでした。集会場の設備はまだ十分に整っておらず、自治会長宅で会合が開かれています。このアパートには2棟あり、間の公園はとても手入れのいいスペースでした。
8月9日
宮城教育大学の学生ボランティアの佐藤さんと藤原さんが中心となり学習サポートをしてくださいました。今日は10数名の参加で、いつもは女子が多いのですが、七郷中学校の男子も参加し充実した学習活動ができました。前回は小学低学年組が集中力がない子もいましたので、机の配置を変え、ホワイトボードを前に並べてみました。学習の途中に白百合女子大学の学長が訪ねられ、参加者とふれあいながら視察をされていました。また、山梨県小渕沢小学校から励ましのお手紙や寄せ書きをいただきましたので、勉強の合間を利用して感謝のお返事を書きました。
8月16日
夕方から住民の手で櫓を組み建てて盆踊り大会が開催され
ました。ヘルプの支援のパラソルとテーブル、いすのセットも完成。いすとテーブルは貴田防犯部長にご協力いただき作りました。
小野副区長の挨拶から始まり、歌に太鼓に踊りと盛り上がりました。でも子供たちは、あまり盆踊りには参加しませんでした。ブースには焼き鳥、ビール、ラムネなどが用意され、有料にもかかわらず大盛況でした。
8月17日
今日は、私の後輩の社会人ボランティアの藤島さんがお手
伝いに来てくれました。母の会やテレビの企画の取材申し込みの対応などで忙しくバタバタしており、とても助かりました。
でも来週からは今までお手伝いいただいた。宮教大の藤原さんが教育実習で1ヶ月来られません。
また、同じ仮設内で毎週木曜日に学習サポートをしているNPOアスイクさんが連携の要請があり、見学に来られました。
8月18日
JR南小泉APで大久保会長と打合せ、9/10(土)にビールパーティー開催決定。JR南小泉APと借上げアパートの連絡先がわかる範囲で声がけをし開催します。当ヘルプでも飲料水、焼き鳥の提供をします。その他、食べ物は各家庭から持ち寄ります。会長からはテント2基の要請がありましたが検討中です。
8月22日
今日は東北放送テレビ『サンドのぼんやり~ぬTV』の震災復興企画として被災された子どもたちと一緒に残り少ない夏を楽しもうという趣旨で「カブトムシを採取勝負」という企画が行われました。のびのび学習会の生徒が8名参加し、当スタッフが付き添いました。
あいにく天気は雨模様、急遽、カレー作りに変更!カブトムシ採取を楽しみにしていただけに子どもたちのテンションも低め↓でも、みんな緊張しながらもがんばって作り、最後は出来上がったカレーをおいしく食べました。和久井アナもウォッチンが終わってから、きました!放送は9/6(火)0:05~0:35
8月24日
今日の教育サポートには20数名の参加がありました。今日で最後の夏休み皆さん宿題は完了、でも中学生は間近で必死。お隣では9/4のお祭りの打合せ、スタッフはみんなバタバタして忙しそうにしていました。
サプライズでTBSのロケ班がきました。先日のロケが雨で予定していたカブトムシが取れなかったのでクワガタをプレゼントしてくださいました。みんな興味津々で大喜びでした。後半は小さい子がにぎやかになり、高学年の子が怒ってしまいました。
8月26日
講師に精神科医の小林和先生をお迎えしナザレン教会で『災害と心のケア』についての講話私たち、ボランティアの心のケアについてのお話を伺いました。阪神・淡路大震災でのボランティア活動を主宰されていたためとても貴重なお話を伺えました。参加された方で、間近で津波を体験し自宅前に遺体が置かれていた状況下におり現在もお子様と通院されていることから熱心に質問されておりました。その後、時間が許す範囲で被災地を視察。ボランティアでい らっしゃった学術博士の石井先生には遅くまで私たちの活動にご協力をいただきました。
8月27日
ALTの皆様で英会話教室『バタフライキッズ』開催たくさんの先生が来ていただきとても贅沢に学びました。遠くからママたちも見学。最初は緊張気味だった子どもたちもゲーム感覚のスクールに自然と入り込んでいました。
そして折り紙でelephant象を折ったり、名札を作ったり、歌を歌ったりしました。さらにGLASSROOTS様から素敵な食器をいただきました。ひとつひとつにメッセージがあり心がこもったものです。料理教室や子どもたちの学習サポートの際にも是非使わせていただきます。ママたちからも好評で本当に素敵なものをプレゼントされみんな感謝していました。
8月29日
JR南小泉アパート(借り上げアパート)で、9月10日にお行われる自治会主催のビアパーティで使用する援助物資をお届けし、当団体2名とJR南小泉アパート自治会長の大久保さんや自治会の皆様と一緒に搬入作業を行いました。当団体が支援した物資は「透明ビニール(掲示板用)4枚錠3台バーベキューコンロ2台炭3箱トングセット2個」でした。それと、共用倉庫の施錠及び掲示板が雨ざらしになっているため、それを覆うビニールの要請を受けました。また、奈良県で手作り絵本工房をされている「きゃべる」の成志様より、荒井小学校用地仮設住宅の子供達に、本人が出演する絵本をプレゼントしたいと申し出がありました。できたら親御さんのメッセージをつけた形にしたいとのことでした。
8月30日
JR南小泉アパート(借り上げアパート)の大久保自治会長と広場に設置するテーブルと椅子の材料を買いに行きました。搬入作業は市職員の方と一緒に行いました。当団体が提供した援助物資テーブルと椅子を作成するための木材や材料3基分ブルーシート(9/2ビアパーティで使用)4枚養生テープ夕方より、荒井小学校用地仮設住宅で学習サポートをしました。9月からは30分短縮して18:00~19:30で開催になりますので、9月の予定表を皆さんに配布しました。小学低学年の子供たちの集中力が持たないため、30分短縮で試行。親御さんのご意見を聞き取りしながら進めていきます。
仙台等では、次第に「復旧・復興」が進んでいる状況にあります。
目の前に「がれき」がなくなりますと、次第に、被災の記憶が薄れるような気がします。
もちろん、時の流れに苦しみの記憶が薄らぐことは、天からの恵み、なのかもしれません。
しかし、まだまだ深刻な被災状況の中にすむ人々のことを、私たちは忘れてしまっていはいけないと思います。
被災の深刻な町の一つに、気仙沼市があります。
その中心部で働きを続けておられる、キングスガーデンの森施設長様が、これまでと今の様子を、文章にまとめて下さいました。
ご許可を頂き、以下に転載いたします。
共に、思いを一つに祈ることができればと、願います。
(10月8日 川上直哉 記)
社会福祉法人 キングス・ガーデン宮城
東日本大震災報告
2011年06月23日 作成
2011年10月06日 修正
人間の苦しみや絶望に直面する社会福祉や医療の事業を、15年間担ってきた当法人ではあるが、今回の東日本大震災は、役職員の家族や関係者に、多くの犠牲者と甚大な被害をもたらし、「悲しみや落胆」と表現する言葉だけでは、伝わらない、歴史的な大震災の被災者としての、懸命な取り組みを強いられている。
大震災の後、余震が続くなか、また、時折、季節はずれの吹雪を見ながら、関係者の安否情報を集め、連絡不通と移動困難、生活の不便さの中での行動、不安に落とし込まれそうな情報、ラジオから聞こえる東日本全体の被害状況、そして、福島第一原発の事故などを聞きながらの日々を過ごした。
震災直後、ケアハウス(市内岩月星谷)と特養キングス・タウン(市内三日町)は避難所になった。高齢者や地域住民(ケアハウスは幼稚園生も)を職員は必死で守った。高齢者の低体温と低栄養と睡眠などに留意し、自分の家族等の安否を懸念しながらも、寝泊りし、ある職員は十数キロも歩いて通勤した。
38日間、避難所となった特養キングス・タウンでは、前の道路を徒歩で行きかう知人や友人を捕まえ、人々や地域の情報を入手した。その際、職員だけでなく、キングス・タウンに避難していた理事や評議員家族が情報入手の聞き込みに加わった。また他の理事や評議員たちが、毎日のように、貴重な情報をもたらしてくださった。
当法人としての被災状況は、職員1名が未だに安否不明(親も子も行方不明なので、発見されてもDNA鑑定が難しい)、家族や親族にも多くの犠牲者が出た。(配偶者1名、子女3名、親3名、兄弟2名)職員の住居被災は27名、職員自家用車19台、事業用車両も7台が流失した。
また、佐藤春子理事長および菅原雅副理事長をはじめ、役員の半数以上が、住居や経営事業などに、非常に大きな損失を被った。山崎正信法人本部長や佐藤由美子事務長の住居も被災した。
法人の通所系および訪問系サービスの事業収入も打撃を受けた。(3月から8月までの6か月で、約4000万円以上の事業収入減となった。)
ライフラインも断たれ、電話回線なども遮断され、安否確認について、施設利用者の家族等に大きな不安を与えてしまった。ケアハウスは、特に周辺エリアが広い範囲で被災したので、通信遮断状態は、長期にわたった。
法人関係の建物被害では、ケアハウスと特養の第1種社会福祉施設は、大きな被災を免れ(ケアハウスでは配管からの漏水があったが)、相当期間、地域の避難所となった。
特に、キングス・タウンは中心市街地にあり、市役所も近く、行き交う人々も多かったので、法人関係者や沿岸部の壊滅した商工会議所や水産加工関係者などの「励まし合いと復興協議」のための寄り合いの場となり、いつ来ても、温かい飲み物と食事を手に取りながら、ほぼ毎日のように、復旧・復興の懇談が続けられた。夜間になると、日中、避難所での安否確認や遺体安置所、被災したエリアなどを歩いてきた方々からの「ナマ情報」で、一喜一憂し、情報交換と復興再建協議が続けられた。地域の方々に支えられ、復興の勇気が与えられていく、そのプロセスは、NHKテレビでも放映された。また、流失した訪問看護ステーションの働きの、懸命な仕事ぶりがテレビで紹介された。
全国からの救援物資なども、私たちを励ました。特に、建設会社、水産冷蔵会社、キリスト教系の世界的な救援団体(クラッシュ・ジャパン、世界飢餓対策機構、カリタス・ジャパン、アガペーCGNなど)、介護や障害者の支援団体などから、物資が届き、避難所でありつつ、他の避難所への物資の中継基地ともなった。他にも、大勢の救援団体や個人から、支援物資が届いた。キングス・ガーデン三重や群馬のナーシングホーム白井城関係者は遠路、物資(ベッドや食料など)を運んでくださった。
4月中旬には、日本キングス・ガーデン連合の泉田昭会長以下4名が義援金を携えて気仙沼に入り、被災地の状況を視察し、全国のキングス・ガーデン関係者に情報発信した。9月に開催された、キングス・ガーデン連合の第20回研修会でも、気仙沼の様子を報告することができた。
2つの拠点施設(ケアハウスと特養)は、難を免れたが、法人が経営する6つの事業所は、大きな損失や影響を受けた。被災場所は地盤沈下しており、同じ場所での復旧ができず、新たな土地取得が課題となっている。
- ①訪問看護ステーション(市内仲町)はエリア一帯が被災し、完全に建物ごと流失消滅し、キングス・タウンに事務所を仮移転した。高価な医療器材も流失した。訪問看護師たちは、震災直後から、避難所において、ボランティアとして従事し、また全国からの救援医療チームとともに、3月中から活動を再開した。その活躍ぶりは何度もマスコミで取り上げられた。復旧の事務所建築費は数千万円。
- ②高齢者グループホーム(市内岩月星谷)は、エリア一帯が被災し、建物の位置が若干移動し、ガレキが流入し、家財等を含めて、使用不可能となった。入居者は避難先の、ケアハウス一階の展示室(独立している空間)での生活が続いた。7月中旬には、仮設の施設に移動した。復旧の建築費5500万円。
- ③障害者の就労継続支援B型事業の幸町ブランチ(市内幸町)は、エリア一帯が被災し、2階天井までガレキが流入し、使用不可能となった。直前に、精神障害者家族会への県からの補助として整備した家具やテレビも、使用不可能となった。利用者の半数近くが、避難所での生活を強いられた。今では、仮設住宅や賃貸アパートから通所してくる利用者がいる。4月から、特養の小会議室で、通所事業を再開している。利用者の大部分が精神障害者である。復旧の建築費5000万円。
- ④開設目前の、仲町ブランチは、賃貸物件をリフォームして、幸町ブランチのサテライトとして、障害者の就労継続支援に供する予定であったが、使用不可能となった。エリア一帯が被災し、事業中止となった。400万円を投じたリフォームも、台無しとなった。実質上、賃貸契約は無効となった。外壁上部の真新しいサイン看板だけが輝いている。
- ⑤新築中(4月末竣工予定)の「階上ブランチ」(市内長磯船原)は、津波の難は免れたが、地震により、建物に小さな被害を受け、建築費の支払金額(500万円程度増額)に影響が出た。天災の場合は、発注者側が負担することも、初めて知った。この施設は、7月15日から事業を開始し、1階はデイサービスセンター、2階には仮設のグループホームが移転した。デイサービスには20人中、仮設からの利用者は7名である。
- ⑥中心市街地空き店舗活用のデイサービス、三日町ブランチ(市内三日町)は、建物は被災しなかったが、被災した特養ホーム嘱託医の事務所兼住居として提供しているので、事業休止状態である。嘱託医は、現在、診療所を新築中である。
気仙沼市内の介護保険事業所の被災状況は、約8割が被災し、特別養護老人ホーム(定員50名)が1箇所流失、老人保健施設(定員100名)も1箇所流失(73名の利用者が死亡)、ケアハウス1箇所(定員30名)が流失(行き場がなく、大部分が自宅等へ戻される)、高齢者グループホームは、7ユニット(定員にして、63名分)が流失した。訪問系・通所系の事業所被災も甚大であった。
障害者関係の事業所も被害が大きく、児童デイサービスは2箇所とも流失、障害者グループホームは4施設流失、地域活動支援センターは1箇所流失、年度末であったので、3箇所の建設中の事業所も流失した。
気仙沼市は、10月4日現在、死亡者1027名、行方不明者380名、避難者141名となっている。(震災直後、避難者は約1万9000人)
マスコミなどでは、一切、報じられていない遺体を目にし、また、身近な方が、心労などで震災後、急死した情報を聞くと、「もしかしたら、自分も倒れるかも知れない」と思うほど、疲れきった心身を鼓舞し、懸命に、日常生活を取り戻そうと努力している・・・・・
文責: 特養施設長 森 正義
他宗教と共に
私たち東北ヘルプ事務局は、「心の相談室」という運動に参加しています。「心の相談室」とは、超宗教の枠組みによる被災支援の試みです。
「心の相談室」は、仙台市仏教会と仙台キリスト教連合の合同事業として、宮城県宗教法人連絡協議会の名の下に、4月に始まったものでした。その最初の目的は、「身元不明者の弔い」と、「行方不明者を探す家族のケア」にありました。
5月から、「心の相談室」は独立しました。東北ヘルプは、その立ち上げ当初から中心になって関わり、現在に至っています。
「心の相談室」の活動は、二つあります。一つは、身元不明者の弔いです。もう一つは、移動傾聴喫茶の開催です。今日は、移動傾聴喫茶の活動をご紹介します。
「Café de Monk」という名前で、移動傾聴喫茶を行っています。これは、避難所や仮説住宅におられる被災者の皆さんに、美味しいケーキとお茶を用意してお伺いし、ひと時、ゆっくりとした時間を過ごしていただくというものです。
先週水曜日、仙台市内の仮設住宅で、「Café de Monk」が開催されました。私たち東北ヘルプが企画し、仙台市内のキリスト教徒のNGOである「世界食料フォーラム・仙台」の皆様がボランティアで参加してくださいました。更に、仮設住宅に入っておられる皆様がもともとお住まいになっていた地域の御寺から、ご住職夫人(お寺の言葉では「お大黒様」と呼ぶそうです)が参加して下さり、また、「心の相談室」の中心メンバーである通大寺住職・金田諦応師とそのお仲間の皆さまが、お茶とお菓子を用意してくださいました。
仮設住宅の問題は、高齢化と孤立化です。今回被災された皆様の多くは、3世帯同居で暮らしていました。被災され、避難所へ、そして仮設住宅へと移動する中で、若い世帯の多くは、アパートなどに転居して行かれました。そうして、仮設住宅には、高齢の方々が孤立しがちな環境に置かれるということになります。その皆様を、孤立させないために、「檀家ネットワーク」での声掛けをする。それが、今回の「Café de Monk」の企画でした。
有り難いことに、本当に多くの方が、参加してくださいました。おそらく、開催時に仮設住宅におられた方のほとんどが、参加してくださったものと思います。
途中から、お大黒様だけでなく、ご住職も仮設においでくださいました。そのことは、仮設の方々を本当に勇気づけたようです。
また、せっかくだからと、「法話」をしてほしいとのリクエストもきました。すぐに、金田和尚にお願いしました。20名ほどの方が金田師の話に笑い、涙しました。また、牧師の話も聞きたいと言ってくださり、私もキリスト教の話をさせていただきました。
おそらく明治の「廃仏毀釈」以来、私たちの国では、宗教は公共性を剥奪されてしまっています。しかし他方では、「心のケア」の必要が強く訴えられている。ここには、大きな「隙間」が開いています。宗教者は、今、協力してこの「隙間」を埋めなければならないと思います。各宗教間での健全な競争は、その後に、真剣に為されるべきでしょう、今、被災地では、「心の相談室」を中心に、諸宗教間協力の実践が行われています。皆様のご支援を頂き、私たち東北ヘルプはこの実践の一端を担わせていただいています。感謝して、ご報告する次第です。
2011年10月2日
川上直哉 記
5月18日 三陸地方教会訪問
5月18日に、被災支援ネットワークで提案させていただいている、 「姉妹教会プロジェクト」のご紹介とご挨拶をさせていただくため、 気仙沼第一聖書バプテスト教会、石巻キリスト教会に伺わせていただきましたので、ご報告させていただきます。
今回は秋山先生(仙台キリスト教連合世話人)、 平島先生(塩釜聖書ともしびチャペル)、 阿部の3名で両教会を訪ねてきました。
三陸道、国道45号線を使い、石巻以北の各地を通過していきましたが、 町の大部分が津波の被害で壊滅し、ライフラインの復旧にもまだまだ時間がかかること。
地域地域で復興の進み方の度合いが違うこと。 仙台とは異なった様相の被害を目の当たりにし、衝撃を受けました。 非常に広い地域で、10年単位での長期的な支援が必要なことを改めて思い知らされました。
これらの地域での支援では、少なくない方が自前でテントを持ち込み、 そこで寝泊りをしながら活動をされていることも拝見しました。 大変なご苦労だと存じますが、そのお心が地域の人たちにどれだけの慰めと勇気を与えているか。 頭が下がる思いです。
1、気仙沼第一聖書バプテスト教会
まず、わたしたちは気仙沼第一聖書バプテスト教会にお邪魔しました。
この日は3時から教会主催のコンサートが市民センターで行われるそうです。
嶺岸先生ご夫妻はお忙しい中を縫って、お会いしてくださいました。
JR最知駅近くの、教会堂のあったところまでご案内くださいました。 海まで50m程の所です。 現在は様々ながれきに囲まれていますが、 元々は美しい海を眺める素晴らしい場所だったのでしょう。 この日も穏やかな海でした。
近くの木材で組み上げた十字架と、朝日新聞にも取り上げられた十字架が置かれています。 会堂の床だけが残されましたが、 「わたしたちは、津波によって『壁のない教会』となりました。 これからは今まで以上に多くの教会と協力して頑張りたい」 と笑顔でおっしゃる嶺岸先生の力強いお姿が印象的でした。
大変な多忙の日々を過ごしておられる先生ご夫妻ですが、 ご健康が守られ、また必要な休息とが与えられますことを心より願っております。 この困難の中を耐え忍びながら、日々の生活をしておられる教会員の皆さまの ご苦労がどうぞ慰められますように。 そして気仙沼の皆さまのために心を一つにして祈りました。
2、石巻キリスト教会
南下して、石巻キリスト教会(キリスト兄弟団)に伺いました。
石巻教会は石巻駅裏からすぐの所。
この地域は津波の被害で1m50cm以上浸水したということです。
多くの人が家財道具を失い、苦労されているということ。
教会も同じく大きな被害を受けました。
伺った日が18日でしたが、近日中に軒下にたまった泥だしが行われる予定だということでした。
石巻教会では、現在不定期に地域の方に物資の提供を行っています。 教会の中でバザーのように物資を広げ、持っていっていただく。 大変好評で、第3回となった前回は300人ほどの人が集まったそうです。 近日中に第4回も行われます。 物資はサマリタンズ・パースと国際飢餓対策機構から提供を受けておられます。
世界各地からの応援のメッセージも届けられています。 1mを超す巨大折鶴もありました。
石巻教会は木造の教会です。 津波の被害によって、建物の木がどれほど傷んでいるか、本格的な調査が必要です。 最悪の場合、数年の間に建て替える必要もある、と伊藤先生が説明してくださいました。 流失、全壊という被害を受けていない建物でも、 再建のためにそれらと変わらない費用が必要となります。 石巻の現状を伺うためにも、継続的な支援が求められていることがわかりました。 困難を乗り切るために、継続的な祈りをお願いします、というメッセージを頂戴しました。
サンピアフェスティバル報告 その2 フェスティバルの風景
フェスティバルはその名のとおり、にぎやかなお祭りです。 食べ物の屋台が並び、子どもも大人も遊べる様々な企画、ステージなどが用意されました。 当初、荒天が心配されましたが、蓋を開けてみればすばらしい晴天! ありがたいことです。
多くの方のご協力で、フェスティバルを行う事ができました。 企画側含めて本当に楽しい一日となりました。 ボランティア、避難所のどちらの方も、フェスティバルに協力し支えてくださいました。 参加してくださったお一人お一人に心から感謝します。
震災犠牲者のための祈り
仙台市葛岡斎場にて、4月末まで「心の相談室」が宮城県宗教法人連絡協議会によって活動していました。
被災支援ネットワークも、キリスト教会としてこちらに積極的に協力し、また多くの聖職者、シスター、牧師、信徒有志の皆さまが、ボランティアとして相談室を実際に支えてくださいました。
始めは震災でご家族を亡くされ、しかし何の弔いの準備もすることができなかった方への、弔いのお手伝いができないかと手探りで始めた相談室でした。
その中で医療の問題、ご健康の問題。
大切な人を失う中で、悲しみや怒りや混乱、心の内を吐き出したい方。
財産などの法律問題、今後の生活の問題、特に一家の大黒柱を失ったご家族への支援、お墓の準備、お骨の保管など。
心の相談室は、そんな方の窓口になればよいと活動が広がっていきました。
また4月からは、身元不明のご遺体の火葬が始まりました。
緊急事態に対して宗教の枠を超え、被災で亡くなられ身元不明のままに火葬される方のために、火葬の度、お一人お一人に対して祈ることを行いました。
5月からは形を変え、電話相談(090-3756-1512)を中心に行う事となりましたが、葛岡はその歩みが始まった原点の場所です。
5月11日で震災発生から2ヶ月が経ちました。
そして葛岡には今なお、身元不明のままのご遺体、火葬されたご遺体が数多く残されています。
2ヶ月目を覚え、宮城県宗教法人連絡協議会が葛岡の遺体安置所で祈りの会を持ち、被災支援ネットワークも仙台のキリスト教会として、こちらに参加させていただきましたので、ご報告させていただきます。
いまだ「A-1**」「C-2*」というように番号と火葬されたお骨、そしてわずかに遺された遺留品だけが置かれた安置所で、聖公会の影山博美司祭の導きのもと、被災者を覚え、地震の起こった14時46分を中心に祈りを捧げました。
少しだけ慰めだったのは、番号だけが残されている方もいくつかあったこと。
あるいはこれらの方は、離れ離れだったご家族と再会することができたのでしょうか。
震災から2ヶ月という時間はあまりに短いものですが、亡くなられた方を心から悼みます。
そして一日も早く、皆さまの心が慰められる事を心から祈っています。
サンピアフェスティバル報告 その1 黙祷に先立って
去る5月7日に、若林区の避難所、サンピア仙台にて、「サンピアフェスティバル」が開催されました。
まず何よりも、沈みがちな気持ちを奮い起こしてわたしたちの提案を承認し、中心となってフェスティバルを作り上げた避難所の皆さまに敬意と感謝をいたします。
ボランティアも多くの方が参加してくださいました。
- マイトレーヤさま、遠く山梨県から。
- 日本国際飢餓対策機構さま
- ALT有志の皆さま
- サマリタンズ・パースさま
- CRASH JAPANさま
- 若林区吹奏楽団有志の皆さま
- 陸上自衛隊音楽隊の皆さま
- ボランティアグループ「瞬間(トキ)」の皆さま
- 社会福祉協議会ボランティアセンターさま
- 伊達の牛タン本舗さま
- 有志のボランティアの皆さま
皆さま、本当にありがとうございます。
そしてお疲れさまでした。
被災支援ネットワークも微力ながら今回のフェスティバルに協力させていただきました。
今回、多くの方のご助力でフェスティバルを開催することができました。
お祭りは「ハレ」の行事です。
お祭りは沈んだ心の顔を上げさせ、どんなにつらい日常であってもそれを笑い飛ばすような、活力を与えてくれます。
まさに今回は被災者、支援者の枠を超え、全ての参加者が同じ仲間として、皆で作り参加し楽しんだ、すばらしい「お祭り」でした。
ゴールデンウィークが終わり、ボランティアの雰囲気も避難所の雰囲気も変わってきているように思います。
これから始まる日常の中でも、わたしたちが同じように仲間として歩んでいくことができる事を心から願っています。
フェスティバルの冒頭で黙祷が行われました。
事務局の川上が黙祷に先立って、その導きを述べさせていただきましたので以下に紹介させていただきます。
私は、15回も、ひっこしをしました。多くの街を見ました。今、東北で9年過ごしています。今、とても強く思います。東北は、素晴らしい。これだけの苦しみの中で、じっと耐え、微笑みを絶やさない。
東北人は、無口だと言います。本当にそうなのでしょう。でも、ハラの中に、言葉を練り上げておられる。そして、練り上げられたハラの中の言葉が、心をねばっこくする。そうして、ねばっこくなった心は、地震にも負けない。
フェスタの実行委員長が、言いました。津波は、いろいろなものを持ち去ったけれど、でも、津波が持ってきてくれたものもある。
・・・本当にそう思います。東北の素晴らしさへの敬意を、私は、津波の後に得たのです。
津波は、本当に大切な人を、たくさん、奪っていきました。そこで、私たちは言葉を失った。でも、私たちのハラの中に練られた言葉は、消えなかった。
今、私たちは黙祷しようとしています。黙って、祈る。黙ることで、言葉が練られます。
では、祈るとは、どういうことでしょう。
祈りとは、宛先のない言葉です。宗教は、神様とか仏様に向かって祈るといいます。でも、ほんとうは、なんだかよくわからないのです。宛先は、よくわからない。それが、祈りです。宛先がよくわからないから、祈りの言葉は、無限に広がります。無限に広がるのです。
だ から、私たちの言葉を、遠くまで、広げましょう。ものすごく広い範囲が、津波にやられました。その全域に、私たちのハラの中の言葉を届けましょう。300 を超える避難所があるといいます。その全てに、届けましょう。遠くに住んでいて、心配しているけれど、何もできないと、そう、がっかりしている人がいま す。そんなことないよって、言葉を届けましょう。私たちのハラの中で練られた言葉を。
今、黙って祈る。黙祷をする。そうして、すべての人に、全ての弱った人に、私たちの言葉を届けましょう。御一緒に、黙祷ができることを嬉しく思います。
それではご一緒に。黙祷。
サンピア仙台へのパソコン・インターネットの提供
仙台市若林区のサンピア仙台の避難所にパソコンとインターネットを提供させていただきました。4月25日に行われました「のみの市」の中で、避難所の事務にコンピュータが必要というお声をいただき、対応させていただいたものです。
この支援は、様々な団体の協力をいただき実現したものです。
サンピア仙台の方にも大変喜んでいただいており、こちらとしてもとても嬉しく思っております。
国際飢餓対策機構さま、Panasonicさまからパソコンの提供をいただきました。
パソコンはPanasonicさまから、国際飢餓対策機構を通して、被災地への1年間の無償レンタルされているものです。オフィスソフトも完備されていて、すぐに仕事ができる体制になっています。
また、パソコンを開けるとパソコンを提供してくださったパナソニック社員の皆さま、お一人お一人があたたかいお手紙をしたためてくださっています。
日本ナザレン教団さまからはインターネット接続のための機械(WiMax接続機)とその契約を負担していただきました。
被災支援ネットワークも含めまして、これからも互いに協力し合いながら、支援を続けていく事を願っております。
ヴァイオリン演奏家が仙台訪問
4月27日(水)~28日(木)、ワトトジャパンのメンバー3名とクロアチア在住の日本人ヴァイオリニストの清水節子さんが仙台市を訪問し、避難所や保育所、区役所、商店街などでヴァイオリンの演奏を行ってくださいました。(ワトト・ジャパンについてはhttp://watoto.jp/)
この訪問は、仙台市の民生委員であり被災支援ネットワークのメンバーである黒須践治さんと日本国際飢餓対策機構との協力によって実現したもので、一行は2日間で8ケ所を訪問、多くの方々が演奏に耳を傾けることができました。訪問先は以下です。
27日(水)
- 保育園(青葉区)
- 宮城野区役所
- 被災された塾の先生方の集まり
- FUJISAKI(デパート)の店頭 ~ 仙台の商店街のアーケード
- 若林区避難所
28日(木)
- 若林区役所
- 特別養護老人ホーム チアフル遠見塚
- 宿泊施設 岩沼屋
保育所では大勢のこどもたちが集まり、園の先生のピアノ伴奏に合わせて清水さんがヴァイオリンを演奏。クロアチア聖歌などに加えて、こどもたちのリクエストにもたくさん応えてくださり、「手のひらを太陽に」ではこどもたちが元気いっぱいに歌い、大合唱となりました。
清水さんをマネージメントしておられるワトトジャパンの林さんは言います。
「全ての方々が被災しながら地元のケアをしているので、役所の方々やそこで支援活動をしておられる方々も相当に疲労しており、励ましが必要だと教えてくださいました。私たちは時間がゆるす限り、行ける場所に行くことをお伝えしました。
その結果、地域復興支援のために尽力しておられる方々、つまり自衛隊、全国の警察官、役所の皆さん、全国から集まっているボランティアの皆さんと出会うことができました。様々な方々が集まっているところで、皆さんの励ましとなれる事を祈りつつ清水さんのヴァイオリン演奏と共に『お疲れさまです』とお声がけをさせて頂きました。」
良い交流の時となったことを感謝しています。清水節子さん、ワトトジャパンの皆さん、ありがとうございました。
3.11いわて教会ネットワークさんの企画に協力しています。
事務局の阿部です。
仙台キリスト教連合・被災支援ネットワークは、
仙台市内の多くのキリスト教会が、協力して被災支援を行っているネットワークです。
震災直後に始めた働きでした。
わたしたちと同じように、震災直後から岩手県の教会の方も互いに連携し、協力して活動されています。
それが3.11いわて教会ネットワーク(http://311.ichurch.jp/)です。
現在、いわてさんの方でとても素敵な企画を始められました。
こちらの温泉プロジェクト(http://311.ichurch.jp/?p=406)というものです。
被災された方の慰労のために、みんなで温泉に行こうというものです。
第一回が4月15、16日に行われ、大変好評だったようです。
温泉プロジェクトは、回数を定めながら今後も継続して行われる予定です。
そこで21日の被災支援ネットワークの会合で、
こちらの温泉プロジェクトに50万円の資金援助を行う事が承認されました。
岩手での働きが守られますように、どうぞご加祷をお願いいたします。
現在の被災支援ネットワークの活動について
現在の仙台キリスト教連合 被災支援ネットワークの活動について、
簡単にご紹介させていただきます。
まず、一つ目は毎週木曜日午後6時30分から開かれている会合です。
会場は、日本キリスト教団東北教区センターエマオ。
この会は、被災支援ネットワークの活動の報告、今後の活動の協議、
そしてネットワークを利用して、
それぞれのNPO団体が他の団体との情報交換をしていただくための
場を提供する事を目的としています。
4月21日の前回も、たくさんの団体の方がご出席くださいました。
活動を報告し、必要なものや助けたい、という情報を共有することで、
互いの活動の重複や弱点を協力して解決することができます。
次回は4月28日(木) 午後6時30分から
日本キリスト教団 東北教区センター エマオ(仙台市青葉区錦町1-13-6)
を会場として行われます。
キリスト教系以外の団体の方でも、どなたでもご参加してくださってかまいません。
どうぞ、お時間のある方は一度お越しください。
もう一つは、現在、葛岡斎場で設置されております「心の相談室」への参加です。
こちらの主催は、宮城県宗教法人連絡協議会さまです。
心の相談室は、
震災の混乱の中で、十分な弔いを準備することができなかった方、
身元不明のままで火葬される方の弔いのため、
震災に限らず、ご家族をなくされ、心に深い傷を負っている方のために、
今回の震災をきっかけに立ち上がりました。
わたしたち、仙台キリスト教連合も有志の方を中心に、積極的に協力しています。
多くの方が、大切な形をなくされた痛みに言葉を失われています。
宗教者の役割はそういった言葉を失われた方のそばに、
祈りをもって静かに寄り添うことではないでしょうか。
宗教のことだけではなく、医療、心のケア、経済問題、法律問題、
各分野の専門家の方と連携し、
適切な信頼できる方をご紹介できる体制を築いておりますので、
お困りの事がある方、
言葉にならないが、とにかく心のうちを話したいという方は、心の相談室をご利用ください。
相談室にご協力してくださる宗教関係者の方もお待ちしております。
4月25日サンピア仙台「のみの市」
皆さまお元気ですか。事務局の阿部です。
昨日、4月25日に若林区の避難所、サンピア仙台に行ってまいりました。
皆さまに大変喜んでいただけたようで、わたしたちにとってもとても良い一日となりました。
今回の計画の要旨について説明させていただきます。
まず、フリーマーケット形式にした理由ですが、お一人お一人の細かいニーズをこちらで全て掬い上げることは現実的に不可能です。
サイズ、色やデザインの好みは、本当に様々だからです。
避難所で生活される方は、地震の前までしていたように、買い物をして自分の好きな服を手に入れることができない、という問題を解消したいというところから、今回のアイディアが生まれました。
さまざまな服を持っていって、実際に手にとっていただき、ご自分に必要な服や小物を選んで、好きな量を持っていただきます。
こうすれば、こちらで用意できた物の中から、お一人お一人のニーズに柔軟に応答することができます。
また余った物品を持ち帰る理由は、避難所で頭を悩ませている問題に、物資を抱えることがあるためです。
避難所の生活はあくまで仮住まいですので、近くに全員が引越しを余儀なくされます。
また物置などのスペースも無いので、不必要な物資はそのまま生活の圧迫に直結します。
不要な物資を抱える事を多くの避難者は恐れています。
ですから今回、必要なものだけを提供し残りを持って帰ることで、
この問題を解消しています。
デメリットは支援する人員がある程度集まらないと、十分な形で実施できず、会場が混乱することと、欲しい物が手に入る人と手に入らない人が出てきてしまうことです。
これらの点は今後の検討事項です。
以上のようなアイディアで、のみの市を開催しました。
明日以降も、様々な避難所にこの形式の支援で巡回させていただきたいと考えています。
よろしくお願いいたします。
わたしのところにも来てほしいなどの要望があれば、ぜひ、事務局の阿部(sei_abeあっとhotmail.com "あっと"を@に変えて)
までご連絡ください。
他のNPOの皆さまのところでも、ぜひこの「のみの市」形式の支援、いかがでしょうか。
最後に今回の支援は韓国の企業さまから国際飢餓対策機構への、多くの衣服の提供によって実現しました。
心から感謝して、ご報告させていただきます。
4月18日の活動が河北新報で取り上げられました。
河北新報で東北HELPで協力して4月18日に行った、山元町での慰問コンサートと炊き出しを河北新報さんで取り上げてくださいました。東北HELPのメンバーの一人、黒須さんを中心に紹介してくださっています。
わたしたちの活動は様々な方たちが、お互いに協力し合うことを目指しています。
黒須さんもその趣旨に賛同してくださっている方の一人で、今回の活動でも中心となって取りまとめをしてくださいました。
黒須さんだけでなく、たくさんの方が東北HELPに参加して、活動しています。
わたしたちの働きが少しでも被災者の皆さまのためになるように願っています。
この葉書にお心当たりのある方はご連絡ください
石巻市でクリスチャンの方が書いたらしいお葉書が見つかりました。
送り手は「マスモリ」さんとなっています。女性の方です。
葉書が見つかったのは、宮城県石巻市門脇町5丁目7-20~28
細かい番地までは特定できませんが、20~28のどこかだと思われます。
各写真をクリックすると大きな画像になります。
個人情報ですので、丸のところは伏字です。 手紙の宛名は「寺○清○」さん、女性の方です。 住所は石巻市門脇町となっています。 お心あたりののある方は阿部までご連絡ください。
4月18日 宮城県山元町、森祐理さん慰問コンサートと玄米のおかゆの炊き出し
4月18日(月)に慰問コンサートと炊き出しのため、宮城県と福島県の県境にある山元町に行ってきました。
国際飢餓対策機構、サマリタンズ・パース、本郷台キリスト教会、東北HELPの各団体、そして森祐理さん、地元との連携を取りながら、炊き出しの準備をしてくださった仙台市太白区長町の佐藤さん、全体のとりまとめをしてくださった仙台市若林区南材の黒須さん。
たくさんの方々がそれぞれの力を出し合うことで実現した支援企画です。
まず、10台ずつを国際飢餓対策機構、サマリタンズ・パースが用意してくれた自転車20台を寄付。
その後、山元町の役場に向かい、そこで避難生活を送られている方へ、森さんが歌を送りました。
役場の方もたくさんの花を会場に飾りつけ、心のこもった準備をしてくださっていました。ありがとうございます。
森さんが歌われたのは、「ひとりの小さな手」「上を向いて歩こう」などの、どなたも知っている曲でした。皆さん、心から聞いてくださっているご様子でした。
続いて、役場から車で5分ほどの坂元中学校へ。
森さんに歌っていただきます。
炊き出しでお出ししたのは「炒り玄米のおかゆ」。
用意してくださったのは、仙台市太白区長町で料理教室を開かれている佐藤宏子さんです。この料理、玄米を使っているので健康にいいのはもちろん、一緒に使っている十年味噌が放射能に強い体を作るものだとか。
チェルノブイリ原発の事故の際も十年味噌がロシアに大量に輸出されたそうです。
たくさんの方の協力で実現した今回の支援。 微力ながらわたしたちもご協力できたことを嬉しく思います。 最後にいくつか坂元中学校の写真を紹介します。