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「古文書レスキュー」報告書
東北ヘルプは、「支援する方を支援する」活動を続けています。
被災地は広く、そして被災内容はバリエーションに富んでいます。
その支援活動は多岐にわたり、無数に存在します。
そうした中で、支援の志の高さにも関わらず、経済的その他の理由から、続行困難となる活動がたくさんあります。
私たちは、そうした団体をお支えしたいと願っています。そしてもし許されるならば、その活動を協働する参画者とならせていただければと願っています。そして更に、被災地の様々な深く小さな情報を集め、学び、そして新しい支援の企画を立て、新しいプロジェクトへと繋げたいと願っているのです。
そうした思いを込めて、また再び、よい活動のご報告を頂きましたので、以下に御紹介したいと思います。
(2012年3月30日 川上直哉 記)
2012年3月 津波被災資料保全活動報告
2012年3月30日
NPO法人宮城歴史資料保全ネットワーク
東日本大震災にともなう津波被害で被災した歴史資料を保全するため、NPO法人宮城資料保全ネットワークでは、下記の通り被災資料のクリーニング作業を実施し、歴史資料を後世に遺すための活動をおこなっている。
3月の活動は、2家の個人所蔵資料に加え、石巻市内小学校資料の計3件について作業を実施した。震災から一年を経過した現在でも、沿岸部より津波被災資料の救済依頼が届けられている。これらについては、カビや水濡れの影響により劣化が激しく進行しているため、早急な処置が必要になる。
なお、本活動は、事務局の指導のもと、各地から申し出をいただいたボランティアとともに実施している。
1、石巻市住吉町個人所有資料のクリーニング作業
前月同様、資料の被害状況に応じた分別作業をおこない、それぞれの資料についてのドライクリーニング作業を実施した。作業は翌月以降も継続的に実施する予定だが、3月下旬に緊急を要する被災資料が大量に搬入されたことにより、現時点で作業を停止している。
今後、他資料の緊急性が低下した段階で、あらためて作業を再開していく。
2、石巻市内学校資料のクリーニング作業
2011年8月より、継続的に実施していた石巻市立小中学校資料の処置について、3月14日一通りの処置が完了した。
洗浄作業ができなかった資料もあったため、すべての資料に同じ措置が施せた訳ではないが、すべてについて危機的状況を脱することができた。また、和本類など紐の綴じ直し作業も実施し、多くの資料について今後の利活用に耐えうる状態にまで復旧させることができた。
なお、これらの資料については、3月23日に同市教育委員会に返却し、作業完了の旨を報告した。
3、山元町坂元周辺学校資料のクリーニング作業
3月21日、本法人理事より津波被災学校の資料について情報が寄せられ、処置の依頼を受けた。対象資料は同校校歌1点であり、今後は震災記憶のシンボルとして後世に伝えていく予定であるという。
処置は両面に付着した泥や海水を除去するために洗浄作業を実施し、乾燥後紙背に添付された両面テープの除去作業を実施している。テープ除去作業は4月以降も継続的に実施する予定である。
4、石巻市北上町周辺学校資料のクリーニング作業
3月23日、処置を完了した資料の返却した際、石巻市北上町周辺の学校に被災資料が確認されたとの情報が寄せられ、同校職員立ち会いのもと、搬出作業を実施した。
被災から1年以上経過していたが、壊滅的な劣化・破損は確認されなかった。危機的状況ではあるものの、今後の処置によって健全な状態に復旧可能と判断市、段ボール37箱分の被災資料を仙台の事務局に輸送した。翌月以降、これらの資料について段階的に処置を施していく予定である。
5、石巻市雄勝町個人所有資料のクリーニング作業
3月23日、石巻市から被災資料確認の情報が寄せられ、同市職員が搬出した資料の受け取りをおこなった。津波被害を受けたのち、しばらく放置されていたため、下段部分で腐敗が進行するなど、著しい資料の劣化・破損が確認された。これらについては、ナンバリングしたのち一次的に冷凍処置を施し、学校資料の処置が完了した後に作業を実施する予定である。
2月27日 岩手 ハートニットプロジェクト訪問
2月27日に井形、三枝、阿部の三理事で、「ハートニットプロジェクト」(http://sportsdesk-skiclub.dreamlog.jp/)の事務所に訪問させていただきました。
ハートニットさんは、「3.11いわて教会ネットワーク(いわてネット)」様と提携し、活動されています。東北ヘルプは、「いわてネット」様への支援を通じて、ハートニットプロジェクトの活動を支援させて頂くことになりました。そこで、今回、私たちがご挨拶を兼ねてご訪問させていただいたのでした。
既に昨年10月末、一度三枝理事が伺わせていただいており、今回は、「東北ヘルプ」としては二度目の訪問となりました。
ハートニットプロジェクトは岩手でスキースクールをされている、松ノ木さんが中心となって震災直後から活動を始められました。
震災によって、被災者は大きな痛手を負っている。その心の隙間を埋めることはできないか。松ノ木さんは、ずっと、そのことを考えてこられました。しかし、震災直後は、楽しいことや働くことへの自粛ムードが強い時期でもあり、思案が続きました。そして、結論に達しました。何もしないことは傷ついた心にかえって悪い影響を与える。仕事をする中で心を安らげていくことが大切である。誰かがそのように立ち上がらなければ、誰も立ち上がることができない。
そう結論付けますと、どんどん考えが展開しました。手を動かすことができる仕事が良い。針やはさみを使わない作業がよい。それなら、毛糸の編み物をするのが良いのではないか!
そうして、プロジェクトが企画されます。まず、避難所に毛糸のキットを届けるところから始まります。そして、編み方を教え、作品を作ってもらう。その作品を販売し、売上金を編んだ方々に全額お渡しする。これが、「ハートニット・プロジェクト」となります。
松ノ木さんは、お仕事仲間(スキー関係のネットワーク)に、このプロジェクトへの協力を呼びかけました。すぐに応答がありました。そして、全国から毛糸が届けられたのです。そうして2011年4月から、プロジェクトが動き出しました。
活動を始める時のことで、忘れられないことがあると、松ノ木さんはお話しくださいました。
初めて避難所に毛糸のキットを届け、作品の製作を依頼した時のことです。しばらく経ってから、その避難所に作品を受け取りに行かれました。その時、編み物をされていた避難者の方々の表情が、本当に楽しそうであったこと、そして、そこにはたくさんの毛糸のたわしができていたこと。その時の印象が、松ノ木さんの心に強く残りました。その時、松ノ木さんは、このプロジェクトの可能性を強く感じたのだそうです。そして松ノ木さんは、このプロジェクトをなんとか継続させたいと思うようになります。
現在、ハートニット・プロジェクトは、
1、全国の援助者から送っていただいた毛糸を、
2、色やデザインなどに合わせて仕分けし、
3、被災地の「アミマーさん」(避難所・仮設住宅在住の編み手の方々)にお届けします。
4、「アミマーさん」が編み物を作り、
5、編みあがった作品を、松ノ木さんたちが販売し、
6、売上金は編まれた方に全額、お渡しして、終了。
という流れで、展開するようになりました。
現在、岩手県大槌町を中心に、100名の「アミマーさん」が参加してくださり、これまで総額で約450万円の売り上げをお渡ししてきました。避難所で始まったプロジェクトは、現在も、仮設住宅に場所を移して活動が続いています。
震災から1年が経とうとしています。プロジェクトの継続の中で生まれた嬉しい出来事がもありました。それは、アミマーさんたちの技術の向上です。1年間編み物を続けた今、本当に良い作品が出来上がるようになった。「被災地の商品」というだけの価値ではなく、どこであっても自信を持って出品できるものになった。アミマーさんたちも、やりがいを感じ、積極的に参加してくださっている。
「沿岸部の方々が一歩を踏み出してくださったことで、プロジェクトが動き始めた。なんとか将来に繋がって欲しい。」
嬉しそうに、しかし真剣な表情で松ノ木さんはお話ししてくださいました。
ハートニットプロジェクトは当初から、支援の長期化を視野に入れて活動されてきました。始めのころは人員の不足もあり、日々の対応に手一杯であったが、これからはしっかりとした体制作り、協力してくださる団体との繋がりの強化が課題だとおっしゃいます。
実際、多くの方が活動を支援し、協力してくださっています。作品の製作とデザインには、4月から編み物教室の講師の方が継続的に指導と監督をしてくださり、素敵な作品の数々が生み出されています。
毎年6月に岩手県では、「いわて銀河100kmチャレンジマラソン(http://www.news2u.net/releases/86362)」という大会が開かれます。2011年の大会では駅伝部門のたすきに、ハートニット製作のたすきを使用してくださったそうです。
またスキー・モーグルの上村愛子選手が、スキー関係のつながりでハートニットを知って、今年の競技ウェアに使用してくださっています。(詳しくは「ハートニット 上村愛子 ブログ」で検索してご覧下さい)
現在は、スキー場や、東京、横浜、大阪のデパートなどで販売をされています。今後も販売網を広げていきたい。被災地の商品というのではなく、自信を持って販売をしたいと、松ノ木さんはおっしゃいます。
実際、作品を手にとってみると、すばらしい仕上がりのものばかりでした。現在は、冬のアイテムの製作が一息ついたところだということです。これから夏用の作品、日焼けよけの腕袋やオフィス用の冷房対策になるような毛糸作品の製作を予定されています。
今回、事務所に伺わせていただき、将来を見据えた活動の先見性と展開に、目が開かれる思いでした。現在、被災地では活動の継続性が問われています。復興の働きは10年、20年と長い時間がかかることだからです。
しっかりとした将来像を持ち、組織を作っていく。それは堅実な活動を土台にし、一つ一つ丁寧に仕事をし、協力者を尊重し、長い時間をかけて、関係を大切にする中でようやく見えてくるものです。ハートニットプロジェクトの働きは、そんな活動のすばらしいモデルケースです。
あたたかい、来られた方を心休ませる、事務所の皆さまの笑顔も印象的でした。こんな人たちが力を合わせる活動なら、きっと良いものになるのだろうと安心させてくれるスタッフの皆さまでした。
これからもこのすばらしい活動に協力させていただけることを感謝しつつ、報告とさせていただきます。
(2012年3月23日 阿部・川上 記)
支援する者/される者
東北ヘルプは、NGO「若林ヘルプ」を設立し、仮設住宅への支援を展開しています。
そこには、多くのボランティアが集います。「若林ヘルプ」は、「支援する者」の集団です。
しかし、「支援する者」は、支援によって、人生に必要な何かを学びます。それは、「支援する者」の人生を支え援助する貴重な経験となります。
実は、「支援する/される」という関係は、固定的なものではありません。それは、常に揺らぎ、入れ替わるのです。そうでなければ、「支援される者」は、その支援によって、その尊厳を深く激しく傷つけられることでしょう。
「支援する者」は、気が付くと、「支援すること」によって、養い育てられている。そのことを確認できるようにと、理事の黒須さんが、一つの企画を立ててくださいました。その報告を、以下に公開します。この報告書は、大学院生の加藤さんが書いてくださったものです。若々しい、少し緊張した、よい報告書です。どうぞ、ご覧くださればと願います。
(2012年3月7日 川上直哉 記)
2月12日若林ヘルプ懇親会報告書
文責:加藤史也
日時:2月12日(日)14:30-21:00
場所:河原町 旧仙南堂薬店
参加人数:22名(うち学生11名)
大震災からおよそ一年がたつ。この間私たちはそれぞれさまざまな形で災害支援の活動にかかわり、いつしか若林ヘルプというつながりで結ばれていた。ここに集まったメンバーは、皆それぞれに理想を持ち、それを実践せんとする志を持った、得難い仲間である。今回の懇親会をもって、せっかく出会えたメンバー同士がもっと互いのことを知り合う機会とし、一層協力し合って今後の活動を行っていきたい、というのが、今回の会のコンセプトである。
会は、「講演」「ブレイク」「学生スピーチ」「歓談」の順番で進められた。以下に、その様子を報告する。
☆講演(14:30-16:30)
今回は、仙台市議会議員の菊地崇良(たかよし)さん、山梨県永照寺の御住職である吉田永正(えいしょう)さんをお招きして、会の初めに、それぞれの視点からの震災復興活動に関する御講演をいただいた。
菊地さんは、『日本の今後の危機管理体制』というタイトルで、行政や民間の人々を含めた横のつながりが、強力な危機管理体制を築くものになることを、ご自身のこれまでの経歴や、今回の体験を踏まえながら、強調された。
『今回ある程度の力を発揮した行政における演繹的な危機管理体制であるが、末端の部分では、その縦割り式の役割分担がうまくはたらいていないことが多々あった。
それを今回上手く補ったのが、もともと東北地方に根付いていた地元民の共助の姿勢と、全国から集まってきたボランティアの力といった、民間人による帰納的な危機管理体制である。共助の伝統がない日本の他地域で同様の震災が起こった場合、今回は起こらずに済んだような、不幸な出来事がいくつも起こることだろう。
そこで、今後の行政の危機管理に対する姿勢としては、行政は、細かいところまで行き届く民間の力をあらかじめ考慮に入れておいて、日頃から彼らと連絡を取り合っておくようにするべきである。上からの命令を待たない横のつながりが、刻々と変化する状況に応じた迅速な支援と、それぞれの領分から来る多様な支援とを生み出すことができるはずである。』
以上のようなお話をされた上で、菊地さんは学生たちに、「今回みなさんがボランティア活動に関わった経験は、次回の震災時に大きな力となって現れる。活動内容を忘れないためにも、是非文章として残してほしい」と訴えた。
東日本大震災から一年がたつが、いつの間にか、あれはもう終わったこと、あんなことはもう起こらないだろうと安心してしまっている自分がいた。復興のお手伝いをするのもいいが、それを一方的な支援としてとらえるのではなく、いつ自分が被災者になってもおかしくないということを念頭に入れ、しっかり勉強させていただく姿勢も必要だと感じた。
今回若林ヘルプで培われた横のつながりは、将来の非常時にも力を発揮することだろう。
吉田さんは、『育てる教育学』というタイトルで、学習サポートをしている学生たちに対して、子供たちの生活する力を伸ばすための教育の必要性とその実践の仕方を、教育の歴史や、ご自身のこれまでのボランティア活動の観点から、解説された。
『「学ぶ」は「まねる」を語源に持っている。教育とは元来、人が集団生活を送るための知恵を代々受け継いでいく行為であり、現在のような学校教育がおこなわれ始めたのは、戦後間もない1960年代のことである。しかし日本はこの新しい教育理念をアメリカから輸入するに当たり、縦割り式の、偏差値重視のシステムを採用した。その結果、生徒や学生は、一つの問に対して、正しい一つの答えを出すことにのみ注意を払うようになり、自分の考えをしっかりと述べられる人は少なくなってしまった。
これが日本の学校教育のひずみである。教育の現場においては、学校教育で得られる知識だけではなく、自分自身で生活していく力を養うための、社会教育といったようなものも行っていかなければならない。そのためには、子供たちを色々な活動に参加させ、小集団でそれらをこなしていく過程で、人と人とが協力し合うことの大切さを学ばせるような機会を設ける必要がある。』
以上のようなお話を、吉田さんから伺った。
子供たちのための教育支援が、勉強を教えるだけで終わってしまってもいいのか、という疑問は、学生の誰の内にもあった。もちろん皆それだけでいいとは思っていなかったが、ではそれ以外の教育をどこまで行えばいいものか、そしてそれをどのように行えばいいものか、判断がつかないでいた。
そこで、学生から吉田さんへの質問として、最近学生の間で議論されている問題、これまできちんとできていなかった子供たちの挨拶の習慣を、しつける必要はあるか、またしつけるとすれば、どのようにしつけていけばいいか、というものが出た。
吉田さんのお答は、「挨拶はお互いが気持ちよく生活するための第一歩であるので、これを学習会で教えられるならそうする方がよい。そのためには、まず形式を守らせてあいさつを徐々に習慣づけさせるのもいいが、こちらがまず気持ちよく子供たちにあいさつをすることから始めるのがよい。その場合、子供たちは挨拶の大切さがわかるようになるだろうし、そうなると子供たちから自然と挨拶するようになる。」というものであった。
やはり「学ぶ」は「まねる」からきているのだということを改めて教えていただき、これからの学習会に臨む自分の姿勢を、しっかり見なおさなければならないと感じた。
☆アイスブレイキング(16:30-18:00)
お二人の御講演の後は、懇親会に集まった人同士で仲良くなるための時間がとられた。
初めに、参加者の一人で、尺八の先生をしておられる大橋俊庸さんが、尺八演奏を披露してくださった。みな普段は聞くことのない尺八の音に注意深く耳を傾け、演奏が終わった後には大きな拍手が起こった。素人でも十分感じられるほどの、すばらしい演奏であった。
次に、吉田さんが持ってきてくださったハンドベル演奏を楽しんだ。「人が一人では何もできない、だが協力し合うことで大きなことができる」という吉田さんのあいさつの後、一人に一つの音のベルが渡され、一つの曲を、皆で協力して演奏しあげた。初めは不思議そうな顔をしていた参加者の顔が、曲が進むにつれ、笑顔に変わっていった。ベルは誰でも簡単にならすことができるものであり、年代を超えて親しみ合うためには最適なのではないかと思った。
最後に、参加者全員で楽しむゲームとして、「名前当て鬼」というものを行った。鬼に当てられた人は、指定された人のフルネームを言わなければならず、それができない場合にはその人が鬼になる、といったゲームである。会に参加した人の名前を積極的に覚えるいい機会になった。
☆学生スピーチタイム(18:00-20:00)
会には、宮城教育大学、東北福祉大学、白百合女子大学、東北大学の学生たちが、計11名参加していたのだが、彼らは一人ひとりがそれぞれ何らかのスピーチをすることになっていた。テーマは完全にフリーであったが、自分の考えや、普段から感じている疑問などを、10分弱で率直に語ることが条件であった。学生が会のために用意していた豚汁などの夕飯を食べながら、計11名が、一人ひとり前に出て、スピーチを行った。
やはり多くの学生が、震災で感じたことや、その後の自分の変化について話をしたが、中には自分の趣味や、将来の夢について語る学生もいた。
普段よく顔を合わせている人のスピーチでは、これまで知らなかった一面に気付かされることがあり、また、その場で初めて会った人のスピーチでは、その人から受けた第一印象が大きく変わるといったことがあった。
共通して言えることは、どのスピーチも自分の正直なところから語られたものであったため、いずれも非常に聴きごたえがあったことである。このような機会はめったにないため、初めの方はどの学生も緊張していたが、徐々にスピーチ会が進みにつれ、皆リラックスして、積極的に話すことができるようになってきた。中には話している途中からどんどん熱が入って、涙ながらに話す人までおり、とても内容の濃い時間を過ごすことができた。
これまでは、普段一緒にボランティアをする仲間でも、なかなかしみじみとお互いの所感を述べあうような機会はほとんどなかったが、今回こうして考えを発表し合うことで、よりお互いの理解を深めることができた。若林ヘルプを通してせっかく出会えた大切な仲間であるので、色々とお互いに学び合える関係になれればと思う。そのために、今回の会のような機会が必要だと感じた。
☆歓談(20:00-21:00)
最後の一時間は、せっかく理解を深めた参加者同士が自由に話し合う時間とした。会が始まった時には自分の仲間内で固まっていた人も多かったが、この時間には、初対面の人とも積極的に話している人が多く見られた。ここでさらに、お互いに関係を深めることができたのではないかと思う。
(以上)
古文書レスキュー ~2012年2月 津波被災資料保全活動報告
東北ヘルプは、皆様からのご支援を基に、「NPO法人宮城歴史資料保全ネットワーク」様と共に、「古文書レスキュー」のプロジェクトを実行しています。皆様のお祈りとご支援に心から感謝して、プロジェクトの2月報告を、以下に公開します。
(2012年3月6日)
2012年2月 津波被災資料保全活動報告
2012年2月29日
NPO法人宮城歴史資料保全ネットワーク
東日本大震災にともなう津波被害で被災した歴史資料を保全するため、NPO法人宮城資料保全ネットワークでは、下記の通り被災資料のクリーニング作業を実施し、歴史資料を後世に遺すための活動をおこなっている。
2月の活動は、3家の個人所蔵資料に加え、石巻市内小学校資料の計4件について作業を実施した。沿岸部で津波被害を受けた歴史資料が多数確認される一方、内陸部でも地震に伴う家屋の倒壊により消滅する危険性のある歴史資料が膨大に存在する。これらの資料は、長年土蔵などに収蔵されたままの状態であったことから、経年劣化に加え、埃や虫損などによる劣化の危険性をはらんでいる。本法人では、津波被災資料のクリーニングと平行して、救済資料のドライクリーニング作業を実施する。
なお、本活動は、事務局の指導のもと、各地から申し出をいただいたボランティアとともに実施している。
1 石巻市住吉町個人所有資料のクリーニング作業
前月に引き続き、同家のクリーニング作業を実施した。
まず、所蔵資料の全容とその被害状況を把握するため、すべての資料についてカビ抑制のためのエタノール噴霧と泥落とし(ドライクリーニング)を実施した。
被災から約10ヶ月経過していたこともあり、資料の多くが開披困難ないし不可能な状態であった。そのため、処置が可能な資料と困難な資料とに分類した後、可能な分について優先的に処置を施す方針とした。分類については、ドライクリーニング作業の過程で、処置の可能性を確認した。
これらの作業は、翌月も継続して実施する予定である。
津波によって汚れた資料。
清掃されないまま、まだたくさん残されています。
2 東松島市矢本個人所有資料のクリーニング作業
1月20日、東松島市教育委員会から、同家所蔵資料の処置について問い合わせをうけた。それにより、同26日、同市教育委員会と共同で救出作業を実施し、段ボールで15箱の所蔵資料を搬出した。
救出された資料は津波被害を受けなかったものの、経年に伴う若干の劣化と汚損が確認された。そのため、2月3日よりドライクリーニング作業を実施し、2月15日に完了した。
今後、中性紙封筒への納入作業と整理番号を付与する整理作業を実施し、デジタルカメラによる記録化作業をおこなう予定である。
3 栗原市瀬峰町個人所有資料のクリーニング作業
1月21日、栗原市教育部文化財保護課からの依頼をうけ、同家の資料救済事業を実施した。内陸部であるため津波被害はなかったが、地震により土蔵が被害をうけ、所蔵資料の破損・消滅が危惧された。そのため、同市文化財保護課と共同で救済事業を実施し、所蔵資料を搬出した。
資料に経年に伴う汚損が確認されたため、2月17日よりドライクリーニング作業を開始した。
その後、下記の小学校資料の搬入に伴い、作業を一時中断しているが、同家の資料については、翌月以降再開する予定である。
4 石巻市内学校資料のクリーニング作業
2011年7月、石巻市教育委員会関係者より石巻市立小中学校資料の処置について依頼を受けた。8月に段ボールにして約30箱の資料を事務局に搬入し、同月より被害の大きな資料について処置を実施していた。
2月17日、燻蒸を依頼していた仙台市博物館より資料を引き取り、18日よりクリーニング作業を開始した。資料の状態は、津波による水損被害とカビの発生、さらに泥汚れの付着が顕著であり、エタノールによるカビ抑制と泥落としを中心としたドライクリーニング措置を施した。
翌月以降も同様に作業を継続し、3月上旬を目処に同資料のクリーニング作業を完了させる予定である。
2月の作業の様子
修復中の資料
写真洗浄活動への参加のお願い ~支援をつなげること
津波によって多くの家屋が被災し、家屋には多くの家具や物品がありました。それらの物品は、どの一つをとっても人々の「生活」が詰まった大切なものです。そんな大切な想い出が流失してしまったり、ヘドロによって壊れて、「ガレキ」や「ゴミ」として処理されていくのは、被災者にとって苦しく、悲しいことです。
特に家族の歴史の記録を残す写真を探すことは、震災の当初から多くの人が望んでいることです。ですが、写真は汚れたままだと、たちまちにカビが生え、修復できなくなってしまいます。カビで傷んでしまう前に、写真を洗浄する活動が求められました。
1月25日に生活支援・自立支援のページ、『「想い出」を救出するために』の記事で「ヒューマン・タイズ」さまの活動をご紹介させていただきました。
ヒューマン・タイズさまは震災直後から、仙台市若林区と宮城野区で見つかった写真洗浄の活動をされています。また洗浄後は、写真の展示会を開催し、所有者が写真を見つけるお手伝いをされています。
洗浄作業はまだまだ必要とされています。そしてこの作業は被災現地ではなくともできるものです。そこでヒューマン・タイズさまは汚れてしまった写真を郵送し、洗浄作業をしていただく、という活動もされています。結果、洗浄作業に携わってくださる団体は東北にとどまらず、全国各地に広がっています。ヒューマン・タイズさまの「タイ:tie」には、「つなぐ」という意味がありますが、その名の通り、被災地と全国を結ぶ尊い働きをされているのです。
今回、ヒューマン・タイズさまから、被災地の写真洗浄に協力してくださる団体を募集したいとの依頼をいただきました。
条件は2月24日まで返送必着で、作業が可能である団体です。お送りする写真の枚数(ダンボールの個数)は、ヒューマン・タイズさまとご相談いただき、可能な数をお願いしたいということです。
被災地ではなくともお住まいの地域で、また特別な体力や技能がなくとも、どなたでも可能な支援活動です。どうぞ、それぞれの団体や教会でご検討くださり、支援の輪に加わっていただければと存じます。活動に際しての疑問点などもご遠慮なくお問い合わせください。
以下に連絡先などの事項とこれまで協力してくださった団体を挙げさせていただきます。
どうぞよろしくお願いいたします。
(2012年2月11日 阿部記)
これまでの協力団体さま
1月30日(月)
「福岡被災地前進支援様」宛に写真入りのダンボール5箱を発送させて頂きました。
2月2日(木)
「長崎純心大学 学生支援課様 ボランティアサークル リトル・ツリー様」宛に写真入りのダンボール5箱を発送させて頂きました。
2月7日(火)
鹿児島県「野崎様」宛に写真入りのダンボール2箱を発送させて頂きました。
ご協力を頂ける方は
TEL:022-776-5411
または fukkou-thos☆hu-tie.com (☆を@に変換)まで。
一般社団法人ヒューマン・タイズ 佐々木
○展示準備の為、全て2月24日(金)必着でご返送ください。
「古文書レスキュー」支援報告
私たち「東北ヘルプ」は、支援する人々を支援するために、生まれました。
私たちにできることは限られています。それでも、私たちの世界には無数の善意があふれています。その善意を繋ぎたい。そう思いました。
そして今、「若林ヘルプ」のお弁当支援や、「ヒューマンタイズ」様の写真洗浄支援などに、協働させていただくことができています。多くの皆様のお支えによって、各地・各方面に輝く善意の業に連帯する栄誉にあずかっていますことを、心から感謝しています。
そうした連帯の一つとして、「古文書レスキュー」の働きがあります。最新の活動情報をいただくことができました。以下に、ご紹介いたします。
貴重な、しかし長期的な視野を必要とするお働きです。意義深い、しかし地味なお働きでもあります。そうした事柄に専心される方々への深い敬意を抱きつつ、感謝を持って皆様にご案内いたします。
(2012年2月2日 川上直哉 記)
本年は、昨年末までの作業で一部未済であった同家資料のクリーニング作業から開始した。 処置方法は、洗浄作業を基本とし、水溶性のインク書き資料については洗浄を避け、泥汚れの除去を中心としたドライクリーニング作業を施した。 同家の作業は1月11日に資料の整理作業までが完了した。
2 石巻市湊個人所蔵資料のクリーニング作業 昨年11月にレスキュー、ドライクリーニング作業を施した同家の資料について、臭気の発生など洗浄作業の必要性が確認されたため、1月11日より洗浄作業を実施した。 昨年段階でドライクリーニングを実施していたため、資料全体の顕著な泥汚れは存在していなかった。そのため、脱塩作業と刷毛では取り切れない泥汚れの除去を目的として全点洗浄作業を施し、併せて臭気の除去を目指した。 同家の作業は1月17日に完了し、今後整理作業を経た後撮影作業を実施する予定である。 3 栗原市有壁個人所有資料のクリーニング作業 2011年7月にレスキュー作業を実施した同家の資料について、1月10日よりクリーニング作業を実施した。 同家の資料は、内陸部に所在していたため津波の被害を受けなかったが、土蔵の崩壊により泥汚れなどの被害を受けていた。そのため、泥落としを中心としたドライクリーニング作業を施した後、整理用封筒に1点ずつ収納する整理作業を実施した。 同作業は1月11日に完了し、今後撮影作業を実施する予定である。
4 仙台市青葉区八幡町個人所蔵資料のクリーニング作業
2012年1月16日、仙台市青葉区八幡町の個人宅所有土蔵が解体されるという情報に基づき、同家のレスキュー作業を実施した。1月16日、18日2度にわたるレスキュー作業により、約3000点の資料を搬出した。同家の資料も津波被害を受けなかったが、土壁の崩落などによる被災を受けており、1月18日よりドライクリーニング作業を実施した。
同家の資料は、紙資料と物品資料(「モノ」資料)が混在状態にあったため、これらの分別作業をクリーニング作業と並行して実施し、今後の整理・保存の円滑化を目指した。 1月26日、クリーニング作業、中性紙封筒への収納作業が終了し、同家の整理作業を完了した。今後、他の資料同様に撮影作業を実施する予定である。
5 東松島市矢本個人所有資料のクリーニング作業 東松島市教育委員会の要請を受け、1月26日同家のレスキュー作業を東松島市教育委員会と共同で実施した。 同家の資料も津波被害を受けていないが、経年によるダメージと、土壁の崩落にともなう被害を受けており、クリーニング作業の必要性が確認された。 1月27日より作業を開始し、現在継続中である。 6 石巻市住吉町個人所有資料のクリーニング作業 1月20日および29日、津波被害をうけた同家のレスキュー作業を実施した。 被災から1年近く放置されていたため、カビなどによる資料の著しい劣化が確認された。そのため、1月30日より資料のカビ抑制作業を開始し、併せて乾燥作業を実施した。 一連の資料について、乾燥作業が完了した段階で、泥落としを中心としたドライクリーニング作業を実施し、可能であれば洗浄作業まで実施する予定である。
「想い出」を救出するために
東北ヘルプは、被災各地の様々な支援活動を支援することを、その設立の一つの目的においています。
まだ、今のような事務局が立ち上がらなかった頃、阿部牧師と川上が「二人事務局」をやっていた頃、
日本YWCA様が腕利きの事務スタッフをボランティアとして送ってくださっていた頃、一つの小さなプロジェクトが始まっていました。
それは、「想い出」を救出するプロジェクトです。
最初、東北ヘルプ理事の黒須さんが、一つの話を持ってきてくださいました。それは、6月の初旬のことです。
自衛隊や消防関係者の手によって、数百枚にわたる写真が、回収された。
それは泥にまみれ、付着し、どうしようもない状態であった。その洗浄作業のために、一人の女性が立ち上がった。その方は、「ヒューマンタイズ」という団体を組織し、各方面に声掛けをして、数えきれない写真にこめられた無数の「想い出」の救出作業に取り掛かった。私たちは、すぐにその方と連絡を取り、また、教会関係者に人手がないか、問い合わせました。
すぐに、日本バプテスト連盟 仙台基督教会の「チーム・キタヨン」様が、名乗りを挙げてくださいました。
その頃、ちょうど、私たちは、初めて福島の状況調査を始めたころでした。仲間に加わってくださったばかりの三枝理事が、同行してくださいました。調査は、相馬市を訪れるものでしたが、同時に、新地町にある、日本YWCAのボランティアセンターを訪れました。その時、その隣に、巨大な写真洗浄ステーションがあったのでした。そこには、写真洗浄のノウハウが集積していました。
すぐに、私は「チーム・キタヨン」の渡辺さんに連絡をし、ノウハウは、移植されることになります。
そんな、うれしい思い出の写真洗浄に、今月、仙台キリスト教連合の新年一致祈祷会で、再び出会うことになります。
「ヒューマンタイズ」様は、今、洗浄の追い込みに入っているとのことで、人手が足りない、という状況にあり、支援の呼びかけを、一致祈祷会後の連絡の時間に、キリスト教連合世話人の高梨さんがしてくださったのでした。チラシを見てみると、思い出深い「ヒューマンタイズ」様のもの。驚いて、高梨さんと話し合い、東北ヘルプは再びお手伝いをさせていただくこととなりました。
以下に、チラシをご案内します。
もし、遠方からご参加の方は、東北ヘルプとしてもご支援をしたく願いますから、事務局宛、ご連絡を賜れば幸いです。(もちろん、直接「ヒューマンタイズ」様にご連絡くださっても大丈夫です)
以上、感謝してご報告いたします。
(2012年1月25日 川上記)
急募! 写真洗浄ボランティア
現在、若林区にある仙台園芸センターにおいて消防・自衛隊関係者が若林区で収集した被災写真の洗浄・整理作業が行われています。2月29日から仙台駅東口パルシティで関係者の方々にお返しする予定ですが、洗浄・整理のボランティアが不足しています。これからは火・木・日に下記の内容で洗浄・整理作業を行いますので、一人でも多くの方のご協力をお願い申し上げます。
【期間】
1/24(火)・1/26(木)
2/ 5(日)・2/ 7(火)・2/ 9(木)・
2/12(日)・2/14(火)・2/16(木)・2/19(日)・
2/21(火)・2/23(木)・2/25(土)・2/27(月)
【場所】
〒984-0032 宮城県仙台市若林区荒井字切新田13-1
電話 022-288-0811/FAX 022-288-1772
【交通手段】
帰り(15:45) 農業園芸センター発(仙台駅前経由)交通局・大学病院行
【持ち物など】
・昼食(お弁当)は各自ご持参下さい。
・当日は寒さが予想されますので、暖かい服装でご参加下さい。
【主催】
【協力】
東北ヘルプ(仙台キリスト教連合被災支援ネットワーク)
若林ヘルプ
【連絡先】
又は fukkou-thos☆hu-tie.com (☆を@に変換)まで。
ご連絡をお待ちしております。宜しくお願い致します。
湯たんぽを相馬市柚木仮設住宅へ
11月の終わりに、兵庫県尼崎市のNPO法人シンフォニー(http://npos.cc/)を通じて支援のお申し出がありました。
尼崎で生産され国内シェア六割以上を占める良品質の湯たんぽ200個の提供の申し出でした。「寒い冬を迎えている被災地の方々に暖かなものを」という気持ちを込めて、とのことでした。東北ヘルプ監事でもある日本キリスト教団仙台北教会の小西望牧師が取り次いで下さり、東北ヘルプに連絡があったのでした。
納入場所は、福島県相馬市内の仮設住宅となりました。日本同盟基督教団 相馬キリスト教会の後藤先生が、震災以来続けておられた支援に合流させていただくこととしたのです。
後藤先生の支援活動については、ミッション東北 福島聖書教会の木田先生から、私たちに相談を頂いていました。
木田先生からの相談は、次のようなものでした――「福島県浜通りは、原発のあった場所なので、ボランティアなどがあまり来ない。そんな中で、後藤先生が奮闘している。福島市は後藤先生の教会まで近いのだが、途中に高線量地帯があり、容易には到達できない。そこで、仙台市から南下して支援を展開してほしい。」
この相談は、最初、「ルーテル教会救援『となりびと』」のスタッフの方に届きました。「となりびと」様は、石巻・北上地域に支援を展開しています。被災地は、広い。すべてを、一つの団体でカバーできるものではありません。そして、「となりびと」様から私たちに、支援要請の伝達を頂いていたのでした。
私たちは、相馬の後藤先生と、大切な出会いをしていました。既に、東北ヘルプのホームページ「原発関連の被災支援」(http://touhokuhelp.com/nuclearsupport/index.html)の最初にご報告しました通り、私たちの「原発事故問題」への取り組みは、6月に始まります。
その最初、私たちは後藤先生にお時間を頂き、この問題の奥深さと困難さ、そしてそれに立ち向かうために必要な祈りと信仰について、後藤先生から教えていただいたのでした。
東北ヘルプ理事のおひとりに、秋山善久牧師がいます。
秋山先生は、日本同盟基督教団の東北地区の責任者でもありますから、私たちは、秋山理事を担当者として、日本同盟キリスト教団相馬キリスト福音教会の後藤先生への支援を行うことで、浜通り地域への支援を開始したのでした。
そして、12月27日、私たちは相馬市柚木仮設住宅へ向かったのでした。この仮設住宅に、後藤先生はしばしば訪問し、クラッシュ・ジャパン様などの支援を届けていました。
柚木仮設住宅は、約200戸の大きなものでした。しかし、市街地や街道から少し離れた山麓にあり、周りには何も無く交通や買い物が不便な様子で、夜は「寂しいかな」という感じを受けました。
住人の方々には湯たんぽの提供を1世帯1つずつすることを事前にお知らせをしていました。納入日は暮れも押し迫った12月27日となりました。支援のお手伝いとして、メノナイト・ブラザレン 亘理聖書教会牧師の熊田先生と、国際飢餓対策機構の皆様が参加してくださいました。
当日は、相馬キリスト福音教会の会員の方々と我々、総勢14名で目的地に向かいました。配達作業は仮設住宅の棟ごとに人員を割り当て一軒一軒訪ね手渡しをし、留守のところはそのまま玄関先に置いて行きました。手際よく作業をこなしました。送られてきた200個の湯たんぽのうち、お配りしたのは146個、残りの54個は南三陸町で支援の乏しい仮設住宅や損壊住宅生活者のために用いることといたしました。
途中で住人の方々のお話を聞くことが出来ました。その声を、いくつか紹介いたします。
農業をしていたご夫婦:「湯たんぽ、ありがとう嬉しい。オラ達は津波で農機具が全部流され、農地はあるけんど仕事が出来ねぇんだ。隣は若いお嬢さんでお母さんを亡くし一人で住んでるけんど、昼は仕事に行っていねぇけんど、休みの日でもほとんど顔合わせたことがねぐ、何しているか、わがんねぇんだ」。
ご主人を亡くされた一人暮らしのご婦人:「夜寒いから湯たんぽ嬉しいっちゃ、ありがとう。息子も娘も遠くにいるから、正月は孫連れてくることになってるけんど・・・」(何か寂しそうに遠くを見る感じでお話くださいました。)
ある中学生:「学校へはバスが迎えにきて通学してます。湯たんぽありがとうございます。暖めて使いたいと思います」と話してくれました。
湯たんぽは、これから本格的な寒さを迎える被災地にとってとても嬉しい贈り物であった様子です。受け取られた皆さんは、本当に喜んでおられました。今後、こうしたつながりをさらに活かしてて行ければとの思いを得ました。たとえば、今後のつながりや交わりをもつためのメッセージなどがあってもよいかもしれません。支援してくださった方々に、感謝と共に、そうした可能性をお伝してみようと思います
(2012年1月17日 戸枝・川上記)
ニッペリア仮設住宅 縁台納入
皆さま、あけましておめでとうございます。
東北ヘルプは、2011年に発生した東日本大震災への支援として活動を始めました。
9ヶ月が過ぎ、緊急時であった当初とは変わってきている部分もありますが、支援の働きの必要性は、未だ高いと言わざるを得ない状況です。
そんな今年始めの記事として、昨年末のニュースをご報告させていただきます。
活動は年を越えても継続しています。
そしてその継続が、時間を経るごとに大切な意味を持ってきています。
これからも微力ながら、一日も早く被災者の皆さまが安心して、ご自分の生活を取り戻すことが出来ますよう、東北にある教会の働き、また共に生きる者として支援をしていきます。
全国の皆さまのお支えに感謝しつつ。
どうぞ本年もよろしくお願いいたします。
主にあって。
(2012年1月1日 阿部 記)
高さ50cm、幅180cm、奥行57cmの縁台。
軒下に置いて安定感があり、腰かけるにも便利です。
仙台市内に、「ニッペリア仮設住宅」という仮設住宅団地があります。
この団地は、運動施設用の敷地に作られました。現在約160世帯が居住する仙台でも大規模な仮設住宅となっています。敷地内にはクラブハウスがあり、明るく綺麗な集会所や事務所がおかれ、市街地に近く仙台駅から車で行くと30分ほどで到着することが出来ます。
その環境の良さから、多数のNGOや企業などのボランティアが入りイベントや物資支援などが充実している仮設住宅団地です。
しかしそれでも、やはり、居住に関しては多くの不便があります。
たとえば、「洗濯物」の問題があります。裏側の高いところに物干し竿を通して洗濯物を干すような住宅の構造になっているために、背の低い方やお年寄りには大変不便で危険でもあると、指摘されていました。
自治会の皆様は、安定した踏み台の必要があることを確認し、その必要個数まで確認して私たちに支援要請をしてくださいました。
こうして、私たち東北ヘルプに「縁台135台」の要望が届きました。私たちはこの要望を受け、サマリタンズ・パース(SPJ)様に相談を申し上げました。そして、東北ヘルプ・SPJ合同のプロジェクトが始まったのでした。
ニッペリア仮設住宅で打ち合わせをする
SPJのチャック&ユミ ロブ夫妻
購入に際しては、SPJ様と折半となりました。また、搬入当日は皆で一緒に組み立てをすることによって、被災者と支援者の交流を図ることとしました。
パートナーとなって頂いたSPJ様は、超教派福音主義の団体です。
「サマリタン」とは、聖書に出てくる「善きサマリア人」を指し、「パース」は「財布」を意味する英語です。つまり、「良きサマリア人の財布」という意味が、「サマリタンズ・パース」という団体名の意味になります。
本部はアメリカ・ノースカロライナ州。
大規模な災害に対し支援活動を行い、時には米軍の飛行機で一緒に現地に赴き活動を行います。日本で活動するのはこの災害が初めてとのことでした。
現在、米国や日本の大工さんを雇い入れ、傷ついた家を無料で再建可能なところまで修復する活動をしています。
SPJで教会との連携を担当されるユミ・ロブさんは、日本での活動を「本国では、秩序の正しさや復興の早さに大変驚いており『さすが日本』と言ってます」と話してくれました。
納入日は、12月19日(月)でした。
SPJ様からアメリカ在住の日系三世の親子3人がおいでになり、東北ヘルプからの2人と共に、ニッペリア仮設住宅へお伺いしました。
仮設住宅の方々と力を合わせ、総勢15名ほどで、トラックからの荷下ろしと、組み立て作業を行いました。その後、作業が難しい独居老人の方々の分として50台あまりを皆で組み立てました。その他は、住民の皆様が各自で組み立てていただくこととしました。
それは、私たちの支援の姿勢に基づく判断でした。つまり、1から10まで全てをするのではなく、自立を促す意味でも出来そうなものは「自分たちでしてもらう」ことが良いと、私たちは考えているのです。
この度の支援を総括してみます。まず、私たちは、仮設住宅の不十分なところを知ることができました。そして、「必要」を補うことが出来ました。そして、私たち東北ヘルプは他団体とコミュニケーションをとり、協力し合うことができました。また、支援する側・される側の壁を越え、皆が一つになって作業を行うことができました。
多くの方々のご理解と協力によって、そして、皆様のご支援とお祈りによって、今回も意味深い支援をすることができました。
心から、感謝を申し上げます。
(2012年1月1日 戸枝・川上 記)
第一回東日本大震災復興支援リトルリーグ野球大会
私たちのプロジェクトに、「外国人被災者支援」というものがあります。それは、宮城のNPO「笑顔のお手伝い」様に、調査員をして頂いているプロジェクトです。
「笑顔のお手伝い」様は、「外国人妻」と呼ばれる人々の人権問題と取り組む団体です。しかしそれだけではなく、少年野球やサッカーの支援もされておられます。
被災地の球場や運動場は、「瓦礫置き場」になったり、「仮設住宅用地」になったりしています。それは大切なことですが、しかし、そのことで、子どもたちは活動の場を狭めている。少年野球や少年サッカーの舞台は、今、被災地にほとんどなくなっているのです。
そこで、「笑顔のお手伝い」様は、被災地の子供たちに「野球をする喜び」をお届けしようと奮闘されていました。どうしても資金が集まらず、赤字覚悟で活動を強行されていました。そのことを知らされた私たちは、できる限りの支援をさせていただいたのでした。
「笑顔のお手伝い」様は、私たちの支援を喜んでくださり、報告書をまとめてくださいました。その内容を、以下にお知らせします。
皆様のご支援によって、こうしたお手伝いができますことを、心から感謝しつつ、ご報告いたしました次第です。
(2011年12月10日 川上直哉 記)
第一回東日本大震災復興支援リトルリーグ野球大会
2011年3月11日に起きた東日本大震災によって、多くの方々の生活が一変し、希望や輝きが失われつつあり、また、福島の原子力発電所からの放射能汚染の被害が連日報道され、震災後の重苦しい状況は現在も続いたままです。
私ども「特定非営利活動法人笑顔のお手伝い」は、子供達の健全育成と硬式野球を通じて笑顔と元気を取り戻し、これからの生活に、未来に、勇気と希望を持って進んでもらう事を目的に、宮城県リトルリーグ協会のご協力の下「第一回東日本大震災復興支援リトルリーグ大会」を、11月19日と20日の両日仙台市ガス局グランドとベル・サンピアに於いて開催を致しました。
参加チームは、全十チームで、福島県から現在も放射能の影響で、外での活動が制限されている状況の中、郡山と白河、そして相馬・双葉の子供達が避難している会津・喜多方の3チームが参加してくれました。
参加10チームが元気に開会式に参加してくれました。開会に先立ち、1分間の黙とうを捧げました。
当日は、あいにくの雨模様でしたが、子供達の元気なプレーでお天気も回復してきて大会1日目を無事終えることができました。
1日目夜、福島からきた子供達65名は、宮城県青年会館に全員一緒に宿泊しました。
同会館にて、チーム関係者が一堂に会し、交流会を開催しました。
★郡山リーグ(橋本監督)
現在、チームが使用しているグランドは、放射能の除染がまだ済んでいません。低学年の子供達は週末30分だけ、高学年の子供達は1時間だけの練習しかすることができません。早く放射能の心配がない練習場所が確保できればと思っています。今回、このような大会を開催していただき、ありがたく思っております。
★白河リーグ(難波監督)
福島の中でも、放射能の数値が比較的低いので、練習はすることができますが、常に放射能の数値を気にしながら練習をしております。この大会が今後も続くよう願っております。早く安心できる環境になり、白河で大会を開催したいです。
★会津喜多方リーグ(室井監督)
会津は、放射能の心配がさほどありません。そのため、県内のチームが練習場所を求めて会津に集中してきており、グランドの確保が大変です。また、相馬と双葉から避難してきた子供達が、現在、わがリーグで頑張って練習しています。このような大会が、今後も開催されることをお願いいたします。
参加チーム
《福島県》
白河リーグ、郡山リーグ、会津喜多方リーグ
《宮城県》
仙台リーグ若林フォルコン、仙台西リーグ西多賀大東、
仙台青葉リーグ折立スパローズ、塩竈リーグ塩竈ドラゴンズ、
仙台東リーグ鶴ヶ谷ファイターズ、仙台東リーグ原町レッドアローズ、
宮城野リーグ東新ヤンキーズ、宮城野リーグ宮城野ブッシャーズ
※ 鶴ヶ谷ファイターズは、インフルエンザのため当日棄権
【 大会結果 】
優 勝 仙台リーグ若林フォルコン
準優勝 宮城野リーグ宮城野ブッシャーズ
第3位 仙台西リーグ西多賀大東
第4位 塩竈リーグ塩竈ドラゴンズ
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