生活支援・自立支援

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11年11月 津波被災資料保全活動報告

東北ヘルプは、津波で被災した歴史資料の洗浄と修繕を行っておられるNPO法人宮城歴史資料保全ネットワーク様と協力し、歴史資料の保護活動に当たっています。

今回、宮城歴史保全ネットワーク様からご報告をいただきましたので、紹介させていただきます。

(2011年12月10日 記)


2011年11月 津波被災資料保全活動報告

2011年11月30日

NPO法人宮城歴史資料保全ネットワーク

東日本大震災にともなう津波被害で被災した歴史資料を保全するため、NPO法人宮城資料保全ネットワークでは、下記の通り被災資料のクリーニング作業を実施し、歴史資料を後世に遺すための活動をおこなっている。

なお、本活動は、事務局の指導のもと、各地から申し出をいただいたボランティアとともに実施している。

1 陸前高田市個人所蔵資料のクリーニング作業

1-1 ドライクリーニング作業

前月に引き続き、同家の津波被災資料について泥汚れを除くドライクリーニング作業を実施した。

今月実施した対象は、同家の所蔵していた蔵書類を中心に実施し、泥の除去と整形作業をおこなった。


  • 処理前

  • 処理後

これらの作業は12月以降も実施する予定である。

1-2 洗浄作業

ドライクリーニングを終えた資料について、塩分除去のための洗浄作業を実施した。

水を張ったコンテナに資料を浸し、塩分の除去、ドライクリーニングで落としきれなかった泥汚れの洗浄と整形作業をおこなった。

2 石巻市湊個人所蔵資料のクリーニング作業

11月14日に石巻市湊より津波で被災した資料を搬出した。

同資料群にはカビが発生していなかったが、泥汚れが顕著であり、資料同士の固着も甚だしかったため、資料の固着展開作業と、ドライクリーニング作業を同時に実施した。

これらの作業は11月24日に完了し、12月以降に整理用の中性紙封筒を利用して整理し、デジタル撮影したのちに、印刷作業を実施する予定である。

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10月30日「やまもと復興まつり」への協力

去る10月30日に宮城県・山元町で「やまもと復興まつり」が行われ、東北ヘルプは炊き出しの材料提供という形で参加させていただきました。

やまもと復興まつりのご報告と、おてら災害ボランティアセンターさまからお礼状をいただきましたのでご紹介いたします。

(2012年12月3日 記)

平成23年11月24日

東北ヘルプ 殿

おてら災害ボランティアセンター

センター長 藤本 和敏

やまもと復興まつりへの協力について(お礼)


晩秋の候、皆様におかれましてはますますご清栄のこととお喜び申し上げます。

さて、このたびは10月30日に山下駅前で開催されました「やまもと復興まつり」につきまして「お祭りを復興の足がかりにしたい」という地域住民の方々の趣旨にご賛同いただき、芋煮で使用する豚肉の購入費を支援いただきましてまことにありがとうございます。

おかげさまをもちまして、震災以降、閑散としていた駅前に多くの方々にお集まりいただくことが出来ました。開催前より行列が並び、夕方まで絶えることはありませんでした。

以前のような賑やかさを取り戻した町を見ながら涙を流されている方もいらっしゃいました。

予想を超える来場者数で提供いただきました豚肉を使った芋煮500食もあっという間になくなりましたが、多くの皆様に喜んでいただくことができました。

地域の方々とそれを支えるボランティアが一体となったすばらしいお祭りになりました。

今後も山元町の皆様の復興のために、地域の方に寄り添いながら、ボランティア活動を続けてまいりたいと思いますので、今後とも私たちの活動にご理解とご協力をお願いいたしますとともにお礼のご挨拶とさせていただきます。

ありがとうございました。

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いしのみなと教会震災支援活動報告

東北ヘルプは石巻で活動されている、保守バプテスト同盟いしのみなと教会さまと協力する形で、石巻での支援活動に関わっています。

今回、いしのみなと教会さまからご活動の報告が届きましたので、お知らせさせていただきます。

(2011年12月2日 記)

いしのみなと教会震災支援活動報告

(2011年11月30日 記)

被災者支援には、様々なものがありますが、私ども教会はとくに、住み慣れた場所を退去せざるを得なかった人々、そして全く新しい地で仮設住宅に入ってこられた方々に、炊き出しや地域の情報提供だけではなく、心に安らぎが与えられるコンサートなどを通しても支援させていただいております。

☆ボランティア・チームが腕によりをかけて、被災者たちに心のこもった料理を提供しようとお弁当づくりに励んでいます。

☆少しでも栄養を、と。また、閉じ籠もりがちになってしまう仮設住宅から、一歩外へ出る機会として、コンサート形式の会食などをおこなっています。(石巻あけぼの)

「やっと落ち着けた」と言ってくださる方、

「自分で(料理を)つくる気がしない」と言われる方に、リラックスしてゆっくりと食事をしていただけました。

この東日本大震災で、いろいろな支援の仕方があります。

そこで私どもが大切にしている支援の中心に、人間の血の通う暖かさと希望があります。

それは、支援者、被支援者という二者の異なった立場ではなく、共に生きる者として互いに課題が与えられているという、ごく当たり前の、支え合う人の営みの回復を目指し、寄り添いながらも小さな助けを積み上げていくようにしています。

傾聴していると、突然声をつまらせ、涙を流される人が、今なお大勢います。8ヶ月以上たった今だからこそ、失ったものの余りにも大きな価値に気づくということもあります。

逆に、今この時に命を感じて、もっと前向きに、もっと喜びを感じたいと、積極的に楽しみ、慰めを求める人たちもいます。

☆仮設住宅集会室での、名古屋と石巻をインターネット回線で結んでの『秋祭り』。サンバの踊り、歌、お弁当を拡げて楽しく!

地域によってさまざまな住環境が形成されつつあります。まとまりのある仮設住宅コミュニティーと、今なお自治会ができないでいるコミュニティーと。

小さな地域などは比較的にまとまりやすく、そのために行政との連絡のやり取りが比較的にスムーズに進んでいるようです。

反対に、世帯数の多い仮設住宅団地は、各棟ごとに班長は選出できても、その上に意見を集約する組織がなかなかできては来ない、難しい状況におかれています。

そうなると、支援活動がスムーズになされるところと、一部、引っかかりを感じつつ、支援が本当に喜ばれているのかどうか、状況にもなったりすることがあります。

そこで大切なことは、やはりその活動がどのように受け止められているのかということを、実際に支援を受けている方に心を開いて語ってもらう以外にありません。

的確な支援、より良いものを提供するということだけではなく、そのコミュニティーの人々とのつながりを深めていく、ということ以外には、最善の解決策はないと思わされています。

丁寧に、そして低く、助けを必要とされている方々になおつながっていきたいと願っております。

つづけてのご支援をよろしくお願いいたします。

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兵庫教区長田活動センター どんぶく支援

以前、七郷中央公園仮設住宅に支援物資の要請があった際にお菓子や、パソコン関連の他に「どんぶく、つんぬぎ」と言うのがありました。「どんぶく」はいわゆる綿入れ半纏のことで東北地方ではこう呼びます。「つんぬぎ」は袖のない綿入れちゃんちゃんこで、ネットで検索するとほとんどが赤いちゃんちゃんこでした。昔は子供も大人もお年寄りも冬に普段着としてよく着られていたものです。今は安価なフリースやダウンジャケットなどに取って代わられあまり馴染みのないものになってしまいました。

要請はその後、荒井2号公園仮設住宅と荒井7号公園仮設住宅と同じ自治会の分を合わせ120着になりました。しかしそれは当会の趣旨とは違うものとして残念ながらお答えすることが出来ませんでしたが、仮設住宅の冬の厳しさやお年寄りが多いことを考えると私たちとしてはなんとか支援したいと考えておりました。

それを東北教区エマオを通じ支援に来られている兵庫教区長田活動センターの庄司宜允牧師にお話しをすると条件付きで、120着分を予算50万円で引き受けてくれることになりました。

  1. その条件は
    ①七郷仮設住宅付近で被災しこれから頑張ろうとしている個人の販売店から東北ヘルプが仕入れること
  2. ②8月に市から空いている仮設住宅の部屋にボランティア団体が間借りできることになっているので、この地区の仮設住宅に入居できるように協力すること

と言うことでした。

①の販売店はいろいろ情報を仕入れたり七郷地区を回り探しましたが相応しいお店がありませんでしたので、スタッフの知り合いで市内の個人で営なんでいる三浦ふとん店様から仕入れることになりました。ものは九州久留米かすりでたいへん上質なものです。ただ「つんぬぎ」に関しては他でも探しましたが、同等のものがなく断念し、すべてを「どんぶく」で納めることになり、購入総額は¥439,800となりました。②は連絡を取り合っている市の職員の方から自治会の会長、副会長をご紹介いただき、市に対して住人の方から要望してもうらうようにお願いしました。

納品当日は庄司先生と一緒に向かい、市の職員の方々と3カ所それぞれに仕分けをし納めました。その時にお会いしたある住人の方は、ご主人を亡くされ家も流され子供も遠方に住んでおり、経済状態も困窮していると言います。そして私たちにこう言いました「私、うつ病になって死にたいの、みんな亡くなったの、嫁に来たときから親戚によそ者扱いされ苦労してきたのに、なんで?」と。一緒にいた自治体の方も涙を流しながら慰め同情します。私たちは一瞬たじろぎ言葉を失います。

兵庫教区長田活動センターは阪神淡路大震災時に「地域の復興無しに教会の復興無し」と設立されました。激甚災害時には即時情報収集、支援体制を整えており、以前のトルコ地震、中越地震、能登半島地震などの支援活動をしています。東日本大震災に際しては3月14日に被災地に入り支援活動をしてきました。庄司先生は4月に「福島の情報が関西に全然入ってこない」と言うことで、兵庫県南部大地震ボランティアセンターと共同派遣と言う形で来られ、東北教区エマオを拠点として、主に福島の情報収集、支援活動をしてこられました。福島では原発20キロの通行止めぎりぎりのところまで行ったり、毎日200〜300キロの距離を軽トラで往復したり大変だったそうです。

今回、庄司先生が「どんぶく」の要請に応えて頂いたのは「寄り添いプロジェクト(仮名)」を立ち上げ、仮設の一部屋を借り受け、被災した方々のそばで心のケアに勤めたいという意志からでした。さらに東北教区エマオが七郷地区で泥かきや家の修理などのボランティア活動をしているので、その人たちの休憩所や交わりの場所として活用しようという考えもあります。

七郷中央公園の集会所ではご婦人方が三々五々集まってきて下さり、にわかに試着大会になりました。それぞれに好みの柄を選びワイワイガヤガヤと「これがいい、あれがいい」と賑やかに楽しく、ものの良さに目を丸くするシーンもありとても喜んでもらえたと思います。

私たちは「どんぶく」を支援すること通じ、被災した方々のたくましさを感じるとともに現実を目の当たりにすることになりました。繰り返される災害後の悲劇、この地で私たちキリスト者として、人間として何が出来るのか、今問われているのだと思います。あまり気を張らず、必要なときに必要なだけ寄り添い、人を大切にしていくことが求められていると思います。(戸枝)

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東通り仮設住宅・お弁当サービス

5月に東通りの仮設住宅が194戸の規模で出来上り175戸に約400名の方が生活をし始めました。

そこで当会としてこれから「何が必要なのか」を知るために、アンケート調査をさせてもらいました。その中で「食事の支援をして欲しい」という要望が出され、それに応えるため検討をし安全性や信頼性の高いものを提供できるお弁当をと考え協力してくれる会社を探しました。

今回、ご協力して頂くことになった、ホットモット(プレナス)様は復興支援事業として1食1円の支援プロジェクト(http://www.hottomotto.com/1-1project/)を展開し、1年間で3億食の販売を見込み、支援活動に積極的に取り組んでいます。

お弁当サービスは9月より「ご高齢の方や世帯主などのご家族をなくされた方のなど、毎日の食事を準備することが難しい方にご利用いただき、ご家族の皆さんが安心して食事が出来るようになること」を目的とし、パートナーの若林ヘルプを通し対象者を「お父さん・お母さんを亡くされたご家族、65歳以上の方、要支援・要介護の方および配偶者の方」としました。

サービスの内容は月曜日から金曜日の夕食になり「おかずのみ¥200・ご飯付き¥240」となっております。

メニューは2種類ありホットモット本部栄養士がバランスのとれたものを考え提供しています。当会からは1食¥100の支援になり、10月は231食の支援になりました。

毎週金曜日にはホットモット様から¥50引きのサービスをいただいております。

パートナーの若林ヘルプはその他、学習支援、防犯支援などアンケートを元に支援体制を整え、東北ヘルプから毎月50万円の人件費やランニングコストを含めた資金提供を受け運営されています。

このサービスは、9月から実現を目指して努力を続けてきたものでした。当初より、ある程度のニーズがあり、試行錯誤しながら、システムを組みあげてきました。ホットモット様にも栄養バランスのとれた特別メニューを考えてもらい食材も仕入れ、また足踏みをしつつ、より良いシステムを模索し続けてきたのです。

人々の口に入る事柄であり、毎日の生活にかかわる事柄でしたから、多くの検証を必要としたのでした。

そして今、仮設住宅の一棟を区から借り受けることも出来、ついに、お弁当サービスが始まったのです。

お客様に聞いてみました。

「美味しくて安くて助かる」「早めに来て待っている間にみんなと話をするのが楽しい」などの話をもらいました。

今後は今までのことを一度検証し、さらに増やしていきたいと思っています。 (戸枝)

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大船渡宮田仮設住宅への支援

9月末に秋山理事、川上事務局長が岩手県内のエキュメニカルな教会ネットワークを訪問した際に(http://tohokuhelp.com/secretariat/index.html)、花巻キリスト伝道所の熊谷英三郎先生を通じ、大船渡宮田仮設住宅が行政やNGOなどの支援が十分に受けられていない実情を知りました。

それを受け東北ヘルプでは他団体の協力を得て支援をすることが決まり、支援物資の詳細を聞きに大船渡へ向かい、宮田仮設住宅の自治会長の平山氏に話を伺いました。

三枝理事:先日、私どもがこちらへ訪問した際にいろいろ事情をお聞きし、ぜひご支援させて頂きたいと燃えております。私たちは仙台で活動しており、なかなかこちらの細かいニーズを把握出来ないでおりますので、今日は大船渡教会の村谷正人牧師の協力を得て一緒に支援活動をしていこうと思っております。

平山氏:宮田仮設住宅は100世帯・209名の規模で大船渡市にある37の仮設住宅のうち3番目に大きいほうです。岩手県の雇用促進事業で北上市と大船渡市が連携し派遣会社のジャパンクリエートさんに委託し、80人を仮設住宅の支援という形で雇用し各仮設住宅の自治会に配置しました。

こちら仮設住宅にも4人の人間が派遣されましたましたが、そのとき自治会には机も椅子もなく、パソコン、コピー機、書類入れもなくボールペンの一本さえも有りませんでした。これで自治会活動と言っても人だけ来て「さぁ、どうすればいいの」と戸惑っておりました。それを行政に求めても「派遣会社に言ってくれ」と言われ、派遣会社では「行政に言ってくれ」とらちがあきません。仕方なく私個人で、ある程度のものを用意しましたが、それにも限界があります。その後赤十字さんからある程度の支援物資が届きましたが、集会をやるにも椅子が足りないテーブルがない、座布団が足りないなどの状態で悩んでいたところ、ここの住人の親戚の方で花巻で牧師をされている熊谷栄三郎さんという方がおり、その方が実態がどうなのかを聞きに来てくださり、そちらとも繋がり、先日来て頂いたのです。

そのときは私の話だけではなく「他の住民の方にも要望を聞いてくれ」と言うことでしたので、自治会役員会を開き具体的な物資のリストを作りました。

会議テーブル10・伸縮物干し竿100・パイプ椅子30・事務机1・事務椅子4・縁台42・電気ミシン2・イベント用テント2・ヘルスメーター1・血圧計1・ブルーレイプレーヤー1・拡声器1・メガホン3・書類棚1・座布団30、という内容でした。

村谷牧師からは「出来るだけ地元の販売店を利用して欲しい」と希望があり、納品や手配などは「協力する」と言ってもらいました。

当初他団体にも協力してもらう予定でしたが、諸事情により東北ヘルプのみの支援となりました。要請物資のうち希望する縁台は単価が高額で数量が多いため自作などを検討し今後の課題としました。イベント用テントは日常的に使うものではなくレンタルでも対応できるため見送ることに致しました。ブルーレイプレーヤーは他団体の支援基準に合わないために最初に外すことになりました。その他のものは全て希望に添う形となりました。

今回は十分にご要望に添った形にはなりませんでしたが、平山自治会長からは大変感謝のご連絡を頂くことができました。また、遠方のため私たちがたびたび訪問することが出来ず、大船渡教会の村谷牧師には数々のご協力を頂きましたこと感謝いたします。

今後も連携して支援していきたいと思います。(戸枝)

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古文書レスキューのために
2011年5~10月 津波被災資料保全活動報告


東北ヘルプは、「被災支援の支援」を行います。

具体的には、

1.各教会から、「支援の必要な支援団体」をご紹介いただき、

2.代表者にお会いし、

3.理事会に諮って、

支援を開始します。

そうした「支援団体」の一つに、「NP0法人宮城歴史資料保全ネットワーク」様があります。日本基督教団北三番丁教会様より要請を頂いて、支援が始まったのでした。

「NP0法人宮城歴史資料保全ネットワーク」様から、最初の報告が届きました。こうした尊い御労をご一緒させていただけることを名誉に思い、みなさまのご支援に感謝しつつ、以下にご紹介をいたします。

****************************************

2011年5~10月 津波被災資料保全活動報告
2011年11月1日
NPO法人宮城歴史資料保全ネットワーク

東日本大震災にともなう津波被害で被災した歴史資料を保全するため、NPO法人宮城資料保全ネットワークでは、下記の通り被災資料のクリーニング作業を実施し、歴史資料を後世に遺すための活動をおこなっている。
なお、本活動は、事務局の指導のもと、各地から申し出をいただいたボランティアとともに実施している。

1 被災資料のドライクリーニング

1-1 泥落とし作業

津波によって資料に付着した泥を、刷毛や筆、ヘラなどによって落とす作業をおこなった。あわせて、泥や海水で固着した資料の展開作業を実施した。

1-2 カビ除去作業

津波の被害をうけたことにより、被災資料は水分を多く含んでいる。海水中の塩分により、紙が乾ききらない状態が長く続いていたため、事務局への搬入時には、多くの資料にカビが発生していた。

そのため、カビの発生した資料については、エタノールの噴霧し、ひどいものについては、エタノールに浸すことによって消毒作業を実施した。

2 洗浄・乾燥作業

2-1 洗浄工程

ドライクリーニング作業を終えた資料は、細かい泥と資料中の塩分を除去するため、真水による洗浄作業を実施した。

2-2 乾燥作業

洗浄工程を終えた資料は、乾燥工程を経ることで応急的な保全処置が完了する。乾燥作業については、厚手の資料は直接扇風機による送風乾燥をおこない、その他の資料は、濾紙に挟み込んで資料を乾燥させる方法を採った。

以上の工程を通して、被災資料の保全処置を施している。現在も資料の泥落とし、および洗浄作業を継続的に実施している。
今後、一連の作業を終えた資料について、整理用の中性紙封筒を利用して整理し、1点毎にデジタル撮影したのちに、印刷作業を実施する予定である。

以上

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石巻キリスト教系ボランティアセッション

2011/10/21

キリスト教系ボランティア団体 
 石巻エアリア代表者の皆様

仙台キリスト教連合被災支援ネットワーク
東北ヘルプ

〒980-0012
仙台市青葉区錦町1丁目13-6  D

Tel.022-263-0520
moble 090-1803-2333 (三枝)

石巻エアリア キリスト教系ボランティア団体
活動報告&情報交換会 開催のご案内

聖なる御名を讃美いたします。
石巻市及びその周辺地域で活動中の奉仕団体の皆様に、主の護りと祝福が豊にありますように。
地震、津波、原発事故により体と心と魂に傷を負う、すべての被災した方々の上に、主の慰めと癒しの御手が延べられますように。
さて、この度、仙台キリスト教連合被災支援ネットワーク(東北ヘルプ)では、標記のように石巻市周辺地域で活動なさっているキリスト教系ボランティア団体による、活動報告と情報交換の集いを計画させていただきました。下記のように計画しておりますので、是非ともご参加下さいますようお願い申し上げます。
ご不明の点がございましたら、東北ヘルプ、三枝までご連絡下さい。

日 時:
2011年11月1日(火)
16:00~19:00
(報告会は17:00からです)
開場 16:00 (準備、名刺交換、白地図に活動場所をチェック等)
(白地図にチェックするのは支援空白仮設・地帯を見つめる作業です)
17:00 ~ 18:00 各団体の活動報告 (1団体 5分が目安です)
  ペーパーをご用意いただけるとありがたく思います。
18:00 ~ 19:00 2~3グループに分かれて情報交換
19:00 解散
場 所:
日本基督教団 石巻山城町教会 (関川牧師)
〒986-0832
宮城県石巻市泉町1丁目2−5
0225-22-1267

ご準備いただくもの

名刺 (12団体からそれぞれ2,3名の参加があるものと思われます)
大きな地図に活動場所をチェックしていただくので活動場所をあらかじめ確認して下さい。
なお、なお資料をご用意下さる場合は少なくとも15部は必要となる計算です。

東北ヘルプがご用意するもの

プロジェクター
石巻 及び周辺地域の白地図
PC (Windows7 Power Point 互換)
お茶 と お菓子  ゴミ袋

以上

よろしくお願いいたします。
在主

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仙台YWCA「こころの杜」温泉ツアー

 10月28日、仙台YWCA震災復興支援室「こころの杜」で企画された温泉ツアーが、ニッペリア仮設住宅に住む抽選に当たった25名の招待者と「こころの杜」のボランティア11名、総勢36名の参加で秋保温泉岩沼屋で行われました。参加者は女性が多く、家族連れやご高齢の方などもおりました。当日はよく晴れ渡り紅葉には少し早い感じがありましたが、絶好の行楽日和となり一日のんびりと時間を過ごすことができました。

 今回、東北ヘルプへの要請は「資金協力をして欲しい、温泉ツアーに招待できる仮設住宅を紹介して欲しい」とのことで、5万円の資金援助とニッペリアの仮設住宅を紹介いたしました。岩沼屋さんは仙台YWCAが市の観光課に相談したところ、その趣旨を理解してもらい、いい温泉宿と紹介され、特別料金にてサービス提供をしていただくことになったそうです。余談ですが、秋保温泉は震災当時、警察官や機動隊の宿舎として使われ、全国から集められたパトカーや機動隊車両が道に列をなし、何千人という警察官が神妙な面持ちで往来し普段ではみられない緊張感があり、岩沼屋さんにも500人ほどの警察官が宿泊し石巻まで3時間かけて行っていたそうです。朝5時からの食事、お昼のお弁当、夜の食事などのまかない、食べる部屋が限られており、大柄で屈強な男たちが交代制でものすごい勢いで競うように食べるので、とても大変だったと仲居さんが話してくれました。
 これまで仙台YWCAでは、日本YWCAと一緒に被災者支援活動をしていましたが、10月よりこれまでの活動を引き継ぐ形で震災復興支援室「こころの杜」を立ち上げ、様々な活動を展開していくことになりました。「温泉ツアー」は「心と体のケアのボランティア養成講座」という金香百合講師が開いているボランティア講座の受講生がお手伝いに参加し行われました。

 当日はバスで仙台YWCA会館を出発、ニッペリア仮設住宅で参加者の方をお迎えして岩沼屋さんへ向かいました。到着後、プログラム説明と松本光子会長から「今日はのびのびし広い部屋で、楽しく過ごしましょう」と挨拶がありました。プログラムはみなさんの希望もあり少し変更され、気の合った仲間と過ごす自由な時間が増えました。まずは入浴しその後、すっかりリラックスしてボランティアさんも交え話が弾みかなりくつろいだ感じでした。
 昼食の銀だらの照り焼きは見た目も美しく、脂ものってさすがに高級旅館の味付け、みなさんも「おいしい」と満足していました。
 昼食後は寝っ転がったり外へ出たり買い物をしたり。またボランティアさんと会話を楽しむなど自由に過ごしていました。段々と落ち着いてきたころで「少し体を動かし体操をしましょう」と前に出てボランティアの方がみなさんに声をかけました。ジャンケンを基本に右手と左手の動きを変え、間違えてしまい笑いを誘います。みなさん一気に引きつけられ立って体を動かし始め、あちらこちらから笑い声が聞こえました。体操が終わるとテーブルの上に用意してあった紙を使い、周りからリンゴの皮のむくように手で切っていき長さを競うゲームをしました。みなさん真剣に取り組み真顔で紙を切って「私の方が長いの、短いの」と童心に返ったように夢中になって楽しみました。次はプレゼントタイム、あらかじめ配られている番号札とプレゼントに書いてある番号を合わせ、ワクワクしながら包みをボランティアさんと一緒にあけ「あら、いいっちゃ~」「いいもんもらったっちゃ~」と口々に嬉しそうにしていました。

 今回の仙台YWCAの企画はとてもに良い企画で、被災された方が大変楽しそうに、リラックスし元気になって帰られました。その姿を見た私たちも日常の喧噪をひととき忘れ、かえって元気をもらい、楽しく活動ができました。また、仙台YWCAのボランティア活動の能力は非常に高いと感じました。随所に的確な対応があり、それぞれに役割を果たし、多人数を一気にまとめ楽しませていました。そのおかげで「よかった、また来たい」とみなさん最後に本当に満足げに言っていました。

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仮設住宅支援の報告

東北ヘルプは、「若林ヘルプ」と協力して、「東通り仮設住宅」を支援しています。

この仮設住宅に入居しておられる方々と、東北ヘルプの理事・黒須さんが、震災直後からのお付き合いをしてきました。避難所から仮設に移る際には、住民組織の組み立てに関わり、共に悩み、苦しみました。

その中で、以下の四つの支援を計画しました。

1.学習支援:無料の塾を開講します。

2.防犯支援:住民と共に夜警を行います。

3.食事支援:高齢独居者や母子・父子家庭等への廉価な配食を行います。

4.共同体支援:イベントなどを通じ、共同体のまとまりを促進します。

そして、9月には第一段階の支援が始まりました。
本日は、その概要を以下の通り報告します。
皆様の御支援で、こうした支援が継続していますことを、
心から感謝いたします。

2011年11月2日 川上直哉 記

2011年9月2日活動報告

9月2日 荒井小学校用地仮設住宅において、市の職員より以下の通り住民の要望をお聞きしてきました。
・集会場の入り口部だけにでも雨樋及び階段、スロープに、手すりに滑り止めをつけて欲しい。
・雨天時は転倒する方も多く、今後雪が降ったりすれば不安であるとのこと。
・高齢者、障害者ゾーンの仮設住宅部についても上記同様、階段、スロープに、手すりに滑り止めをつけて欲しい(高齢の方の転倒が普段から目につくようです)。

華道家元 池坊仙台中央会有志一同様より挿花の差し入れを頂いています。
夏場とのこともあり3日に1度程いけていただいています。

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2011年9月3日東通秋まつり~準備編~

9月3日 荒井小学校用地仮設住宅において、明日は東通秋まつりなのです。全日の今日は、台風の影響で風も強い状況です。住民の皆さんと台風に備え土のう作りをしています。
台風の影響であちらこちらが通行止めとなりました。予定より大幅に遅れて山梨の「マイトレーヤー」様と山梨東消防団の先発チームが到着され、舞台の設営、荷物積み込み開始が始まります。
作業が終わり、夜は明日の最終確認のためのミーティング及び懇親会が開かれました。
お祭りのため前泊でご協力いただいた皆様に、心からの感謝を申し上げます。

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2011年9月4日東通秋まつり

東北ヘルプ グラウンド事業

9月4日東通秋まつり当日、たくさんのボランティアの皆様の協力のもと開催されました。
お祭りのためご協力いただいた皆様は、以下の通りです。
◆山梨のマイトレーヤー 代表吉田様ほか50数名
◆YWCA大阪 平井様、榎波様
◆新潟より船岡様
◆京都の女将の会様
◆グループ瞬間 代表大橋様ほか30数名
◆ソフトバンク様
◆アフリカ音楽 アディック様
◆ALTバタフライキッズ 代表ナロマ様ほか30数名
◆宮城教育大学 佐藤様、藤原様
◆伊達の牛タン本舗様
◆吉岡屋様
◆全国ネット・グリーンコープ・生活クラブ 代表川浪様
◆ニュージーランド音楽Nga Hau E Wha~踊りと歌のパフォーマンスチーム様
◆ヒューマンタイズ 代表佐々木様
そのほか多数のご協力いただきました皆様ありがとうございました。

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2011年9月20日活動報告

教育サポートの報告です。
今日は、台風第15号の大雨、大嵐の中、皆さんよく集まってきてくれました。送迎してくれる父兄の方々もびしょ濡れ、皆さん風邪をひかないように。
スタッフも渋滞の中遅れてなんとか到着、風も強く玄関まで水が入ってきました。

華道家元 池坊仙台中央会有志一同様より 挿花を定期的にいけていただいています。季節の感じられる挿花を毎日楽しみにしております。

今日は少人数なのでひとりひとり
しっかり見ることが出来ました

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「いしのみなと教会」の活動を、ご一緒に。

私たち東北ヘルプは、「支援する団体を支援する」ことを、自分たちの主な役割として、活動を続けています。

たとえば、本日、私たちは石巻に会議を開催します。石巻市には、10を超えるキリスト教関係の支援団体が活動しています。支援団体は、現場に没頭しています。どうしても、周囲との連絡調整は「後回し」になる。そこで、日本聖公会「一緒に歩こうプロジェクト」様とルーテル救援「となりびと」様から、情報交換の場を作ってほしいとの依頼を、私たちは頂きました。そうして、私たちが呼びかけ人となって、今日の夕方から会議が開かれるのです(詳細は、また報告いたします)。

他方、そうした連絡調整のみならず、物的・経済的支援も、私たちの役割であると自覚しています。全国・全世界の皆さまから、祈りのこもったご支援を頂いているのですから、それは重要な役割だと思います。

私たちは、「被災支援を、営利・政治・布教活動に、直接利用しない」という原則を持っています。しかし同時に、神様の愛を証しなければならないと、強く願っています。この「原則」と「願い」との両立を目指すこと、それは、一見すると矛盾するような課題です。それは「狭い道」です。その両立のためには、どうしても、知恵と祈りが必要です。共に考え、共に祈る、そうした関係を持たせていただいた団体に、私たちは、支援をさせていただく。そうして、皆さまからお贈りいただいた祈りと募金が、必要としている支援活動のために活用される。そういうシステムで、私たちは物的・経済的支援を各団体にさせていただいています。

本日は、私たちが支援をさせていただいています一つの団体様をご紹介します。石巻で活動しておられる「保守バプテスト同盟 いしのみなと教会」様の活動報告です。

「いしのみなと教会」様は、被災直後から、祈りひとつで、甚大な被災地に立ち続け、支援活動を継続してこられました。決して性急な伝道をせず、黙々と祈りつつ励まれたその働きは、確かに「キリストの香り」を放ったようです。教会は、少しずつ、人々の集まる場所となり始めています。「いしのみなと教会」の姿勢は、ひたすらに「PushではなくPull」で、と、伺いました。それは、支援にしても、伝道にしても、忍耐と知恵の練られた素晴らしい姿勢であると思います。

こうした団体を支援させていただけますことは、みなさまのご支援の賜物です。ここに感謝して、「いしのみなと教会」の活動をご紹介する次第です。

(2011年11月1日)

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「いしのみなと教会」震災支援活動報告(第1号)

私ども「いしのみなと教会」は、3月11日の大震災以来、全国各地よりの送られてきた支援物資、また数多くのボランティア・チームを通して、とくにこの大震災で最も被害の大きかった石巻市及び女川町にて支援活動をして参りました。

※学校、総合体育館などの避難所は、物質的な支援だけではなく、健康・衛生面、精神面でのケアが、いつも必要とされていました

震災直後、最も必要とされた食料や飲料水、毛布、衣料などは、週に四日のペースで配っておりました。また、大きな避難所など比較的に支援物資が集まりやすいところから、小さな漁村を回りつつ、不足がちな野菜やくだもの類の他に、ドロ出しや瓦礫片付けのために長靴はたくさんの支援団体から配られたということを聞き、日常に使う靴やサンダルが欲しいとの要望を受けて、さっそく手配して配らせていただいたりもしました。

※ドロ出し、瓦礫の片付け作業。避難所ではストレス気味の子どもたちとゲームで遊ぶ。不足している新鮮な野菜を喜ばれる被災者

震災直後から、数ヶ月たっていきますと、だんだんと被災地現場の必要も、その時その時で大きく違ってきます。その「現場の必要」と、「支援する側」、「間接的にそれをサポートする側」のギャップが、時間差とともに顕著なってきます。そのギャップを埋めるためには、まめに避難所、仮設住宅などを訪問する必要があります。

※神戸からの支援物資の靴。早く日常の生活に戻りたい思いが、被災された方々の共通の願い。道路を塞いでいた漁船がやっと解体

私どもの教会に、全国の教会からボランティア・チームが派遣されて来ています。結果、私たちの教会は、さながら『ミニ・ボランティア・センター』の役割を担わせていただき、支援物資とともに人的なリソースを生かして、医療相談、看護相談、介護相談と、人のごく当たり前の生活水準に必要となるものを提供し続けて参りました。今もそのような必要に応えることを中心とした支援活動を継続しております。

※ボランティア看護師による看護訪問。仮設住宅のお年寄りには心強い味方。インターネットを敷設し、遠隔の医師と医療相談も

東日本大震災からの復興には、おそらく十年単位で考えていかなければならないことでしょう。仮設住宅に入居された方々は、本当の意味での試練が始まったばかりと言えます。仮設住宅での『仮の生活』が、どれほどの精神的な圧迫となっているかは、戸別訪問していて人々の実際的な様子を直接見て、そこではじめて人々の生活環境の実態を知り、なにが本当に必要とされているのかを聞き取れます。

行政は、仮設に入居した時点で、一応の支援は完結したと考えています。また、個別の必要にすべて応えることのできない自治体の現実もあります。人間関係の希薄さが浮き彫りにされ、まとまることの難しい地域・自治会が立てあげられない所も、まだまだあります。このような助けを必要としている人々に、「決して忘れられてはいない」という希望のメッセージが、私ども「いしのみなと教会」の働きを通して、神様から与えられていくことを、切に願っております。この支援活動が前進し続けるために、なおご支援をよろしくお願いいたします。

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七郷中央公園仮設住宅への支援

9月の終わりに東北ヘルプを通じて支援活動をしているボランティアの方から七郷中央公園仮設住宅で「物資支援の要請がある」との連絡がありましたので、早速出かけていき詳細を聞きました。
この仮設の構成は荒浜・荒井・遠見塚・蒲生・岩切・六郷など方々から集まり、54棟に47世帯・112人が居住しております。7月の初めから入居が始まりもう少し増える予定です。一人暮らしやお年寄りが多く、津波で家を流された方や住居の一部が浸水し住めない状態でいる方などがおり、国の方針も決まらず、将来への様々な不安を抱えながら居住しています。仮設住宅の部屋は狭くその窮屈な中での暮らしに加え外へ出ることも少なく、住民同士の近所づきあいもまだ十分に図られておらず、人と話をしないで孤立していることが心配されていました。

9月に入りようやく自治会が出来、体制を整えこれから少しずつイベントなどをして交流する機会を増やしていこうとしていました。10月10日には仙台キリスト福音教会の西村牧師に協力を得て芋煮会を企画していましたが、大きい鍋が手配できなく思案しておられました。そこに、私たちの協力団体が提供できる旨を伝え、私たちの支援が始まったのです。結果、当初3〜40人の参加との見方で企画されていた芋煮会でしたが、「70人程の参加で盛況に行われました」と、後日、感謝していただくことができました。
その後、支援要請を纏めて頂きました。その結果、①お茶会などを企画したいのでパソコン・プリンター・ラミネート・ポット・コーヒーメーカー・お菓子・お茶・マットレスが手配できれば、②「お知らせ・ポスター・チラシ」などを自分達で作り、コミュニティーの立ち上げに役立てたい、ということを要請くださいました。更に、その他要望として、「カラオケ」や「寒さ対策のつんぬぎ・どんぶく(綿入れ半纏)」などが出されました。東北ヘルプは理事会で審議し、「私たちとしては被災された方の支援者を更に後ろから支援し、自治会機能の手助けをする役割を担っていければと願っております。商品を精査し理事会に諮って支援要請にお答えしたいと思います」と結論付け、お伝えをしました。その結果、今回お届けしたのはパソコン関連・お菓子・お茶・マットレスとなりました。「カラオケ」は、共同体の中でどう活用するのかを詰めていただく必要があること、また、「つんぬぎ・どんぶく」は寒さ対策には必須と考えられますが、コミュニケーションを図るものとしては外れていることを考慮し、今後の検討課題とさせていただきました。しかし、これからのシーズンを考えると、防寒対策は重要ではないかと考え、協力団体である「日本基督教団 長田支援センター」様にご相談申し上げたところ、支援して頂ける見通しとなりました。
七郷中央公園仮設住宅への支援は、このようにして始まりました。今後、支援物資がどのように役立てられているのか、これからもお付き合いをさせて頂きながら、皆様にご報告していきたいと思います。

(2011年10月24日 戸枝正輝 記)

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宗教の公共性を目指して

キリスト教徒・牧師を含む宗教者は、今、公共的な役割を担っているだろうか――その問を、被災地にいると、強く感じさせられます。行政も司法もNGOも、皆、担うべき公共的役割を、必死で担っています。果たして、宗教は、どうだろうか。

公共的な役割を担うためには、諸宗教間の協力が必須です。それなしには、どんな良心的な公益事業であっても、どうしても「一利益団体の活動」と見做されてしまうからです。

宗教に求められている公共的役割を果たすための試みが、先週、三つ、行われました。

松緑神道大和山の青年部理事長様と、福音派の牧師と、そして東北ヘルプのスタッフとで、会議が持たれました。それは、津波に浚われた巨大な被害地を前に必死に踏みとどまっている農民への支援をどうするか、という会議でした。しかしそれは、工業化・企業化した現代の農業のあり方を根本からとらえ返そうとする深い議論となりました。

また、曹洞宗と天台宗のご僧侶と法律家と東北ヘルプのスタッフとで、会議が持たれました。震災孤児・遺児へのケアをどうするか、具体的な可能性を求めての会議でした。その会議は一つの結論を生みだし、早速教会関係者に連絡が為され、新しいプロジェクトが立ち上がりつつあります。

そして、浄土真宗大谷派のご僧侶と福音派の実業家と東北ヘルプのスタッフとで、会議が持たれました。それは、人口流出が止まらない地域の町おこしのプロジェクトでした。役割分担が決められ、大きなプロジェクトの事務局が動き始めたのでした。

以上のプロジェクトは、まだ始まったばかりです。今後、きっと、その展開を報告する機会があることでしょう。大切なことは、こうしたプロジェクトの背景に、諸宗教間協力を促進させる雰囲気がある、ということです。確かに、宮城県には、そうした雰囲気が豊かにあります。その豊かさの背景には、一つの団体があります。それは、「宮城県宗教法人連絡協議会」という団体です。

「宮城県宗教法人連絡協議会」は、宮城県下2050の宗教法人が加盟している団体です。発足は、1972年。カトリック教会仙台市教区様と、日本基督教団東北教区宮城中地区様が、キリスト教代表として、発足当初から参画しています。

この協議会は、毎年「法人研修会」を企画実行しています。昨年度・今年度と、日本キリスト教団がその役を担いました。今年は、先週の19日に、法人研修会が行われました。震災の為に、今年は、会場が確保できませんでした。そこで、立正佼成会仙台教会様が、会場を提供してくださいました。

研修会の中心は、講演を頂くことにあります。昨年度は、大野浩悦 仙台YMCA総主事から「公益法人制度改革」についての講演を頂き、宗教法人の公共的役割と責任について学びました。そして、今年度は、東北ヘルプが立ち上げから関わり続けています「心の相談室」から、講師が派遣されました。

この研修会では、「宗教者による平和の祈り」も実施されることになっています。宗教者が、各宗教団体の壁を越えて一つになって祈る、という催物です。昨年度から、始まりました。昨年度は、仙台キリスト教連合に、その司式をお願いしました。今年は、「心の相談室」が、この式の進行も担当することになりました。

今年の研修会の様子は次のようなものでした。

まず最初に、「宗教者による平和の祈り」が行われます。その趣旨を、主催者は以下のように発表しました。

趣旨説明:

私ども「宮城県宗教法人連絡協議会」は、1958年に始まった「仙台宗教団体協議会」を継承発展して、1972年に発足しました。母体である「仙台宗教団体協議会」は、ひとつの理念を掲げていました。それは以下のようなものです。

仙塩地区の各宗教団体を以って組織し
共同の広場を持ち互いに連絡を緊密にし、
かつ世界平和を希求しつつ
正常な宗教活動を促進することを目的とする。

この理念の実現を目指して、宮城県宗教法人連絡協議会は、年に一度、仙台での講演会を開催し、また、各宗教の本山を巡る研修旅行を行って参りました。
そして、特に、上記「世界平和を希求する」という理念の実現を目指して、昨年度から、「宗教者による平和の祈り」を実行することとなりました。私ども日本基督教団東北教区が、その担当となりました。本日、諸宗教の皆さまと共に、平和と平安を祈る会を、ここに開催いたします次第です。
昨年度は、キリスト教式で行わせていただきました。今年度、私どもは、祈りつつ、「心の相談室」様にご協力を要請しました。「心の相談室」様は、このたびの大震災を受けて、御弔いを受けられないご遺体のために弔いの業を行い、また、大切な人を失った悲しみに寄り添うことを目指して、宮城県宗教法人連絡協議会と世界宗教者平和会議の後援をうけて活動を続けている団体です。「心の相談室」様は、私どもの要請を快諾してくださり、理事で僧侶の金田諦応先生が、祈りへの導師としてとして立てられました。また、震災の影響の為に会場が確保できない中で、立正佼成会仙台教会様が、本日の会場をお貸しくださいました。「心の相談室」様と仙台教会様に心からの感謝を覚え、本年度は、仏教式での祈りとさせていただきました次第です。
今、震災から半年を経て、被災地は分裂と分断の中にあります。自立を目指して試みられる一つ一つの努力は、否応なく、私たちの間に格差を生みだして行きます。そのことを止めることは、できないかもしれません。しかし、宗教は、祈ることができる。共に、この時、祈りを合わせ、被災地に平和と平安の溢れることを、ご一緒に願いたいと存じます。

宮城県宗教法人連絡協議会
法人研修部

趣旨説明の後、「心の相談室」理事で、通大寺住職 金田諦応師がスライドを用い、被災地の様子を語ってくださいました。宮城県内から集まった諸宗教の皆さまが、心を一つにして、震災の痛みを想起することができました。

それから、鐘が鳴ります。日本基督教団東北教区センターが所蔵していた鐘が鳴り、その余韻の消えるまで、宗教者が、それぞれの仕方に従って、沈黙の祈りをしました。

その後、会場を提供してくださった立正佼成会仙台教会の教会長 渡辺先生が、宗教者を代表して祈り、「宗教者による平和の祈り」は終了しました。

それから、講演に移ります。その趣旨説明は、以下のように語られました。

本年度の特別講演の企画趣旨を申し上げます。

本年、2011年は、大震災によって、特別な年となりました。そのことを覚え、今年度の研修会の講演は、「心の相談室」室長・岡部先生にお願いいたしました。
「心の相談室」は、震災後すぐの、4月に始まりました。徐々に稼働を始めた仙台市の火葬場において、弔われることもなく火葬されるご遺体の痛ましさに心を痛められたご僧侶が、読経のボランティアを始められたことが、その最初です。仙台市仏教会様が、その志を支えておられました。同時期、仙台キリスト教連合が、同じ思いを以て活動を始めました。震災によっていのちを落とされた方々の尊厳を守ろうとする思いは、合流しました。そして、宮城県宗教法人連絡協議会を主催者として、「心の相談室」という名前を与えられ、宗教者による被災支援が始まったのでした。
それは4月いっぱい続けられました。その間、各界の方々の協力を得ることができました。そして5月、この活動の永続化を目指し、「心の相談室」は宗教者有志の会として衣替えをし、今日に至ります。医療者である岡部先生が代表者となり、宮城県宗教法人連絡協議会は後援団体となりました。既に皆様にお知らせいたしました通りです。
一昨年度、私たちは、大村哲夫先生をお迎えして、「自宅で死を迎えること――在宅ホスピスの現場から」と題した講演を頂きました。そこでは、あと20年後に、年間死亡者数が今よりも70万人増加する、ということが語られました。間もなく、死者が溢れる時代がやってくる。医療者にとって、病院にとって、この問題は深刻な課題です。岡部先生は、この問題に20年も前から取り組んでこられました。
そして、震災がありました。悲しいことに、私たちの身の周りは、死者で溢れました。宗教者に、大きな役割が求められました。
「心の相談室」は、そうした背景の中で生まれました。そして、岡部先生が、その代表者となられたのでした。この岡部先生に、私たちは御講演をお願いしたいと願いました。それは、昨年度に引き続き、「宗教の公共性」ということを考える良い刺激を頂けるものと期待してのことでした。
昨年度、私たちは、宗教者の公共的役割について、公益法人という面から御講演を頂きました。それは、制度・組織から見た「宗教の公共性」という問題を学ぶ機会となりました。今年度、震災後の宮城県で、もう一度、別の角度から「宗教の公共性」を考える機会を得られるものと存じます。

以上、本年度の特別講演の企画趣旨を申し上げました。

宮城県宗教法人連絡協議会 研修部

そして、「心の相談室」室長の岡部先生が講演されました。岡部先生は、医療者としての立場から、臨終の現場に宗教者が出てこられない現状を指摘されます。その原因は、医療側にも、宗教側にも、ある。その壁を乗り越えるために、「臨床宗教家」のようなライセンスを出す必要があるのではないか。そうした提案を、岡部先生がお出しになりますと、会場は拍手で賛同の意向を示してくださいました。

日本基督教団東北教区宮城中地区様の活動に、私たち東北ヘルプが関わっている「心の相談室」が重なり、諸宗教間の協働事業へのビジョンを広く共有する機会が得られたことは、大きな喜びでした。皆様のご支援によって、こうした活動が展開されています。それは、宗教の公共的役割の実践へと繋がっています。改めて、ご支援くださる皆様に感謝を申し上げる次第です。

(2011年10月23日 川上直哉 記)

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「ライフサポート 響」と共に

東北ヘルプは、小さな事務局です。小さいのですが、多くの被災支援の現場の皆さまに繋がることができています。多くの皆様の義援金をお預かりしている私たちは、被災支援の現場の皆さまをお支えする役割を担いたいと願っています。その一つとして、「ライフサポート 響」様とご一緒に活動を始めました。以下に、「ライフサポート 響」様の紹介をいたします。

(2011年10月18日 川上直哉 記)

ライフワークサポート 響もお仲間に!!

はじめまして!!
「ライフワークサポート 響」の支援相談員 阿部泰幸です
震災後の3月16日からブログを通して被災地の現状を全国に発信してまいりました。

特に、3月28日から、被災児の学用品支援のお願いを全国に発信いたしました
そして同月30日、「ブログで始まる支援の絆!プロジェクト」を打ち出し、
私のブログをご覧いただいた方にプロジェクトの拡散をお願いし
「ブログでの絆・ブログからの絆」を結びみんなでの支援を呼び掛けてきました
学用品の支援は6ケ月間続き、時間の経過とともに支援の内容も変化してきています


  • 多賀城市文化会館 配布会

  • 多賀城市文化会館 配布会

  • 気仙沼市階上避難所 配布会

  • 気仙沼市階上避難所 配布会

  • 気仙沼高校・気仙沼西・ 向洋高校の被災した生徒さんへ
    大学ノート5000冊の支援

ここで、「ライフワークサポート 響」の支援の理念をご紹介します。
私たちは「絆」を大事にし、
単なる物資の配布ではなく全国からの支援者の思いを被災者に伝え
お互いが元気になる事を目指しています

私たちの方法は、次の一言で纏められます。
「配布は一つ一つ言葉を交わし手渡しで!!」。
――この方法では、時間はかかります。しかし、確実にコミニュケーションが取ることができるのです。これまで、この方法で被災者さんの生活の実態を聞き取ることもできました

大事なのは、その支援の先にあります。
つまり、「言葉を交わし手渡し出行う配布」を切っ掛けにして、
被災者さんの「困った」という声を聞き取り、
問題を抽出し、次の支援に結び付けること、です。

気仙沼市本吉町小泉地区:震災後初の床屋さん再開!!(ハサミがあれば出来るのに!!の一言から支援をスタート)


  • 畑の一角を借りて親子でスタート

  • 仮設でも十分やる気が一番!!

  • 多くが全国から寄せられた 支援物資です
    私の娘(中一)と支援に!!

  • 4・18河北新聞で 紹介されました

  • 5・30 河北新聞で 紹介されました

被災者さんの隣に寄り添い一つでも多くの現実を教えていただく。
これには長い時間とかかわりが必要でした。
被災者さんの周りには、あまりにも「建前」が多く、簡単には、「本音」が聞けないのです。
「がんばれニッポン!!」という掛け声が、たくさん聞かれます。
これが、違った形の頑張りに、なってしまっていた。
「自分たちより大変な人が沢山いるんだから」と助けを求めることを我慢し、
苦しい生活を続ける事を頑張ってきた人たちが沢山いるのです。

6か月の被災児の学用品支援を続ける中、各家庭の問題を聞いたり行政とのすれ違いや解釈の違いから、崖っぷちの生活に追いやられている被災家族もたくさんいました。

この支援の中で宮城県2つの町で車中生活者の方々とも出会う事が出来ました。
震災後、車中生活を続ける方々を、私は23件も見て来たのです。

震災後3カ月が過ぎ車中で老々介護を続ける被災者さんがいました。
避難所内で周囲に迷惑をかけるからと、
避難所を飛び出した半身不随の被災者さんがいました。
驚きとやる場のない心の動きが入り乱れ一時放心状態になってしまいました。

被災者さんそれぞれの理由があります。


車中生活者問題にも取り組んでいます(9.5河北新聞 一面)


  • 気仙沼市内で第一発見
    (支援は車中泊者とのコミニュケーションから始まります)

  • 気仙沼市内で第一発見
    (支援は車中泊者とのコミニュケーションから始まります)

個々の理由に対応しきれない支援者の間に入り、対応をさせていただきました。
3カ月にも及ぶ活動は、個々の状況に応じて行政とのやり取りへと進みました。
その結果、今、全員無事に安全安心な居住地を手に入れる事が出来ました

この震災で苦しい人生を送るはめになった多くの被災者さんは、この国のセーフティーネット(避難所・仮設住宅の利用、支援制度の活用)に守られることになりましたが、残念ながらすべての被災者さんが守られたわけではありません

セーフティーネットから漏れた人たち(在宅避難者他)が発災から6カ月がたった今、危機的状況に置かれていますここからが「真の支援」と考えています


  • 東松島市 宮戸縄文村 配布前 (搬送はレンタカーのトラックです)

  • スタッフも一緒に鉛筆探し (2000本広げました) 大人も子供に戻ってました)

  • 気仙沼小泉中学校避難所

  • スタッフと行儀よくお話し中です

  • 気仙沼東新庄 在宅避難者配布会

  • 亘理町 在宅避難者向け配布会

多くの支援団体が「被災者の自立」を訴え支援物資配布の停止・ボランティアの縮小を実施しています。聖書には「99匹の羊と1匹の迷い出た羊」の譬え話があります。神様は、一匹の迷い出た羊を大切にするそうです。それとは反対に、今被災地では、99人の生活環境だけをケアし、そこから漏れている1人の困窮者の命が見逃されています。

「ライフワークサポート 響」は取り残された1人の命を支援していくことを目指し、支援の方向性を被災児から被災者へ変えました。その一つが車中生活者の救助活動であり、個々の問題を抱えた生活に困窮した被災者の支援です。

勿論、仮設住宅内でもいまだコニュニケーションの構築されていない所もありますし、十分な生活環境の整っていない所もありますから、継続して支援は続けていきます。仮設住宅内からもたくさんの情報を手に入れる事が出来ます。仮設住宅への支援も、欠かすことができません。

まだまだ支援の手は必要です。震災後6カ月が経過した今でも、救助を必要としている人たちが沢山いる事を忘れないでください。

今回はライフワークサポート 響の支援について書かせていただきました。次回は実際の支援活動のご報告をさせていただければと考えております。

私どもの支援活動に、皆様のご理解とご協力を頂けます事をお願いいたします

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