「日韓教会交流及び宣教協力増進ツアー」その4

韓国での報道

3月11日の「記念」の日が過ぎました。
被災地では、この日は比較的静かに過ごすようです。
比較的、というのは、他の地域と比べて、ということです。

被災地以外で行われる多くの記念特別番組などは、 すこし、「大騒ぎ」にも思えます。
それはきっと、遠隔地の皆様の「忘れてはならない」という 温かくも有難い思いの表れなのでしょう。
私たちの2月の旅は、 そうした思いを、遠隔地である韓国に再びお持ちいただくきっかけになったのではないかと思われます。
そのことを示す新聞記事が、韓国内で配信されました。
私たちはそのことに励まされています。
以下に、新聞の写真とその日本語訳をお知らせします。
ご高覧を賜り、韓国の兄弟姉妹と共に祈っていただければと願います。

(2013年3月21日 川上直哉 記)

 

写真は東日本大震災が起きてから一か月経った2011年4月末の気仙沼第一聖書パプテスト教会の姿。
廃墟となった教会跡地に木で出来た十字架だけが侘しく立っていた。中央の写真は一年かけて復旧した教会跡地。そして右の写真は去年の11月、同じ場所に教会がもう一度建った様子(提供者 趙泳相宣教師)。
「福音の津波が押し寄せてきました」…災害に勝ち抜いた奇跡
「まるで恐ろしい災害が人々の心を肥沃な大地へと変えたようです」日本で23年間福音を伝えている趙泳相(60・西葛西教会担当)宣教師の告白である。
2011年3月11日午後2時46分。東北地方を襲ったマグニチュード9.0の地震は生活の基盤を根こそぎ奪っていった。生き残った人々に残されたのは深い絶望感と虚無感のみ。しかし、大地震が荒らしていった日本人たちの空っぽの心に福音が芽生えている。
東日本大震災2周年を前に、最近韓国に訪れた現地の東北地方の牧師や宣教師に会って話を聞いた。
 東日本大震災により最も大きな被害を受けた宮城県北東に位置する気仙沼市。
 押し寄せた津波により教会と住宅をすべて失った嶺岸浩(66歳・第一聖書パプテスト教会担当)牧師は妻とともに14㎡(4坪)の狭い仮設住宅で生活している。教会が無いため市民センターなどで礼拝をして2年近くなるが、感謝の気持ちでいっぱいだ。
「もともと10人ぐらいの規模の教会でした。でも去年だけでこの町で新しい信徒17人が洗礼を受けました。過去10年で私たちの教会で洗礼を受けた人が1,2人ぐらいだったのに……こういうのを奇跡というのでしょうね」
白髪の嶺岸牧師が笑みを浮かべた。
 彼は『奇跡のような話』をもう一つ話してくれた。跡だけ残して崩れ落ちた教会跡地に20か月ぶりに教会が建った。それだけでなく教会から車で10分程度のところにある国道沿いの更地に前の教会の10倍もの広さの土地を購入し、年内に完成する予定で工事の準備をしている。「これらすべてが韓国の教会と信徒たち、世界のあちこちから下さった愛と支援のおかげです」
 石巻市に住んでいるキックボクサー出身の岸浪(63歳)牧師。彼は津波で教会を失ってから被災地の集落を訪問し、『家庭教会』で伝道する楽しみに夢中になっているという。街にある10戸の過程を月二回定期的に訪問し、相談もしながら街の住人を支えている。
「住民たちの中には私に会うまで福音を聞いたことが無かった人がたくさんいました。さらには70歳にして初めて神様の御言葉を初めて聞いた漁師や『聖書について学びたい』と直接頼んでくる老人たちとも出会いました。たまに『津波が無かったらこんな事が果たして起きえただろうか』とも考えます。」
 今回の災害はほとんど伝わっていない日本において、教会や信徒たちの連合の重要性を啓発することにもなった。福島県教会連合会会長である木田(58歳・郡山キリスト福音教会)牧師は、「今回の惨事によって今まで交流が薄かった教会が一つになる経験を作った」とし「神様の下さったもっとも大きな祝福である贈り物である」と言った。
 しかし、これらの被災地域には未だに直したり建てたりしなくてはならないものが多い。
 特に災害の後遺症との戦いはまだ過去のものとはなっていない。
最も深刻な地域は原発事故が起きた福島県。この地域の木田牧師は事故発生直後に馴染み深かった町や教会に背を向けねばならなかった。彼のように故郷を失った人々は16万人に達する。
 「私の生きているうちに故郷の地へと戻れるかどうか。住民たちの気持ちも私と同じはずです。放射能汚染の危険性のせいで未だに山の木々にも迂闊に触れることが出来ません」多くの住民たちは漠然とした不安感のせいで精神がすり減り、子供たちの甲状腺がんの発生率はほかの地域よりも明らかに高くなっているため不安感が高揚していると彼は付け足した。
 これ以外にも被害地域の住民たちの間でも被害の程度や補助金の格差など見えないところで互いの心の傷が深くなっているというのが被害地域の牧師たちの証言である。漁師たちが多い石巻市の場合、数十種の魚貝類は放射能汚染の風評で殆ど売れないという。このせいで収入源がない住民たちは仕事を求めて街を離れるにつれ空き家がどんどんと増えているという。
 震災から2年が経った今、彼らにとって切実なことは何だろうか。
趙宣教師は「初期1年間継続された復旧事業が衣食住の解決に当たったとすれば、今は精神や情緒的な問題のケアに集中すべき時である」とし、「これらの分野に当たる教会や専門家たちが必要である」と強調した。
一方、日韓宣教協力会と日本キリスト福音教団などは被災地内の無教会地域を中心に『ミッションネットワーク』を構成し、家庭教会の役割を拡大する予定である。

(翻訳 東北ヘルプ 李貞妊)



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