出会いを通して
仮設住宅などでのディアコニア(奉仕、支援)報告書
2015 年 7月 13日


報告が遅れてしまいまして、お詫び申し上げます。
今週から、また随時ホームページを更新してまいります。

宮城県南部から福島県北部で活動を展開されている
「Cafe de ふくしま」、
カベナント教会の石川和宏さんの活動報告をお届けさせていただきます。

東北ヘルプは石川さん始め、
現場に繋がる支援者への支援をさせていただいております。
このようなお働きに繋がらせていただいていることは、私たちの大きな誇りです。
また一つ一つのお働きが、
被災者の方々への慰めの業として展開されていることに感謝するしだいです。

石川さんのご報告はいつも丁寧に作成してくださっております。
一つは客観的な支援の内容、そしてその中で共有された被災された方々の声、
最後に今後の展望やマスメディアの報道などを通して、
全体を俯瞰する視野をご提供くださいます。
一つ一つの「出会い」を大切にするときだけ、
そのような視野を持ちうるのではないでしょうか。

これらは貴重な現在の被災地の人々の生きた声であり、
それらの声から全体を見つめることにつながります。

どうぞ石川さんのお働きの実に
わたしたちも分かち合わせていただきたいと思います。

(2015年9月2日 東北ヘルプ理事 阿部頌栄)

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仮設住宅などでのディアコニア報告書(6)

2015 年 7月 13日 石川和宏
*報告期間:2015 年 6 月 30日 ~ 6 月 9日


【1】 南相馬市 牛河内第2仮設住宅 南相馬市小高区の方々 7月1日
(写真1、2)
・この仮設は、南相馬市鹿島区の仮設住宅が集中している一角にある。
・建設戸数78戸で「空き家は数軒」(最近復興住宅に引っ越しした人など)。
・住民は85%の方が小高区の方々。イベント参加者は全員が小高区の方だった。
・「原発被災者が多い仮設」の紹介をと依頼した社協関係者に仲介して頂いた。
・サマリタンハウスから約36㎞・一般道で56分
・提供したのは、腹話術(「泣いた赤鬼」)・DVD上映(綾小路きみまろライブ第2集)・カフェ・軽食
・奉仕者は石川和宏・石川千鶴子
・支援には、「天理教が定期的に」来ている。
・同じ日に、移動図書館が来ていたが、地元の曹洞宗の住職(秋月山千相院)だった。少し話も出来た。
・「最近来てくれるのは宗教だけ」と語ったある仮設の自治会長さんの言葉通りである。

支援の結果
・参加者23名(内男性4人)
・包丁17世帯 31本(ハサミ1 ナタ2)
・野菜農家の方が大量のカボチャの煮物を届けて下さり、皆さんで頂いた。
・また、イベント終了後に、近くで農地を借りて野菜を作っている方から大量のきゅうりやインゲンなどを頂いた。ここでもたくさんの手作り工芸品を頂戴した。
・「美味しかった。その内また来て下さい。」
・「今度は、夜に来てくれないか。月一回でもいい。」
・小高区の人が多い仮設は、友伸グランド、牛越3、牛越4、塚合、千倉(ペット可の仮設)。

皆さまからお聴きしたこと
◇3.11後のこと
・原発から16㎞(居住制限区域)に家があった。津波で家が全部流されたために補償金が出ない。一部でも残っていれば出るのだが。
・津波に巻き込まれた人を救助していた自衛隊が、原発事故後、先に小高から逃げた。彼らは独自の通信で放射能の情報を知っていたのだろう。我々には知らされなかった。
・津波の人の炊き出しをしていた。ご飯を炊きあがった時に避難命令が出た。理由は言われなかった。
・建具屋をしていた。機械や道具を持ち出せず、仕事は出来ない。(母親と参加)
・会社はなくなるが、息子の建具職人としての腕前はなくならない。(母親)
・孫と嫁が津波で亡くなった。一人息子は別の所にいる。除染が済んだらリフォームして戻ることを決めたが、息子は帰らない。

◇現在の暮らし
・家族が分散してしまった。孫に会えない。
・子供がいるのは3世帯だけ。原発から遠い所にみんな避難している。
・ここの仮設住宅は、「長屋風」に作ってある。人間関係は良い。木材で建ててあるので、暖かみがある。
・今死んでも「遺影」にする写真が残っていない。
・日本一美味しい魚を食べていたが、今は食べられない。ホッキ貝の蒸しおこわは美味しかった。
・(補償金のことで)「小高の人はいいな」と言われる。全部失ったのに。
・仕事をなくしたので給料のよい除染の仕事をしようと思った。「現場は人の入れ替わりが激しい」と聞いて止めた。

◇補償・帰還・復興
・小高は13,000人いるが、戻る人はアンケートなどでは20%。それも老人だけ。これでは地域社会は再興できない。
・小高の20年後は誰もいなくなるだろう。過疎地と同じだ。町はなくなる。
・小高の町はいずれなくなるだろう。戻るのは少数で高齢者ばかりなので。
・小高でも浪江町が生活圏で買い物をしていた。浪江町が帰還しないので、戻っても生活が成り立たない。
・仮設から復興住宅に引っ越した人も孤立している。
・復興住宅は、周りが知らない人なので、また新しい人間関係を作らなければならない。
・ここは、孤独死・自殺者は出ていない。
・最近復興住宅に移った人で自殺者が出た。62歳の単身女性。
( 参考:内閣府によると、福島県内の「震災関連自殺者数」は11年が10人、12年は13人、13年23人と増加。昨年は15人だったが 、今年は5月末で既に8人に上る。一方、岩手県は13年4人で昨年3人、宮城県は13年10人で昨年4人にとどまった。(毎日新聞 2015年06月30日)
・南相馬市にある小高の小学校は、新入学生が8名しかいなかった。
・元の家に帰ってもすることがない。仕事がないし野菜も作れない。隣もいない。
・皆さん先がどうなるか分からず迷っている時期もあった。行政に寄らず独自に決断しなくてはならない。


【2】 南相馬市 西町第1仮設住宅 南相馬市小高区の方々 7月2日
(写真3、4)
・この仮設は、南相馬市(鹿島区)の福祉施設が集中する場所にあり、①から③まで分かれている。
・建設戸数124戸で、前々日にイベントの案内を配ったが、空き家は30軒程度。
・社協に「原発被災者が多い仮設」の紹介をと依頼して仲介して頂いた。
・サマリタンハウスから約38㎞・54分
・提供したのは、腹話術(「泣いた赤鬼」)・DVD上映(綾小路きみまろライブ第2集)・カフェ・軽食
・奉仕者は石川和宏・石川千鶴子

支援の結果
・参加者24名(内男性10名) 男性の出席者数としては新記録
・「こんなに集まったのは始めて」と言われた。
・包丁22世帯 26本(ナタ2本)(世帯数が多いのでチラシでは「一人1本」と案内した)

皆さまからお聴きしたこと
◇3.11後のこと
・サンダル履きで小学校の体育館に避難した。
・津波に流された。家も車も船も全部。
・1年後の4月14日に始めて帰宅を許可された。滞在できたのは2時間だけだった。
・自主避難したが避難先で使う布団がなかった。避難所で空いた布団をもらって使った。

◇現在の暮らし
・家族は別れ別れになっている。
・仮設では、食べて寝るだけの繰り返しの毎日で、これは馬や牛・犬や猫と同じ生活だ。
・孔子は、「食べて寝るだけでは動物と同じだ」と、2000年前に言っている。

◇放射能汚染・除染
・(南相馬には)放射能が怖いから、テレビ・新聞・週刊紙・カメラマン、皆来ない。報道が少ない。
・津波被害の方の報道は多いのに。事故の事実を消そうとしている。
・普通こんな事故があったら誰かが犯罪者になるが、今回は誰も出ていない。
・人災なら責任者がいるだろう。
・悪いことをしていない被害者がいるのに、加害者がいない。
・原発は政府が許可したのだから政府の責任だ。
・除染しているのは所々。
・「4月中に除染を済ませる」と環境省から連絡があったが、未だ来ていない。
・汚染物資として出したゴミを指定場所に置いたが回収してもらえない。「持って行かないのはうちが貧乏だからか」と抗議した。
・やっと自宅前の公園の除染が終わった。
・中間貯蔵所は、30年経っても他に移すことは無理だろう。

◇補償・帰還・復興
・29年5月に戻れることになっている。
・帰っても生活は成り立たない。米は持って行けても野菜はそうはいかない。買うところもない。
・農業をしていた。生業を返せと言いたい。除染は未だだ。
・生活を元通りにするのが復旧・復興だ。除染で終わりではないはず。
・帰還後2年で補償が終わりでは、その後の生活はどうなるのか。蓄えを取り崩して生活することになるのは目に見えている。蓄えがなくなったら終わりだ。
・がれきの焼却設備を作っているが500億円掛けても焼却が終わる2年後にパー。大金がもったいない。
(参考/放射性廃棄物の焼却炉建設:膨大な放射性汚染物の減容化のための操業期間限定の焼却施設。すでに稼働された4カ所を加えて、相馬市、福島市や郡山市など合計20以上の計画が進行している。放射能汚染物を燃やすと、排ガスによる周辺地域の汚染、焼却灰の管理、労働者の被曝など、新たな被曝が発生する。政府・環境省は、除染にともなって増え続ける除染廃棄物を処分しなければ、「復興が進まない」「あなたの町は、何時まで経っても廃棄物に占拠されたままですよ」と説明し、焼却施設の受け入れを迫っている。県南部の鮫川村では、環境省が1キログラム当たり8000ベクレル超の指定廃棄物を焼却する初の実証施設を建設。住民の反対を押し切って2013年8月19日に運転開始。わずか10日後に焼却灰を運び出すコンベヤーの一部が爆発した。建設の前提となった「地権者の同意書」の署名捺印が「偽造」であったことが判明した。大手メディアがほとんど取りあげない。 出典 東洋経済 人民新聞 IWJなど)
・地域社会の破壊は補償の対象にはならない。地域社会こそ我々の財産なのだ。
・隣組で戻りそうなのは十数軒中の3軒
・南相馬市で一括りにされ、小高区は埋没する。合併しない方がよかった。
・みんなは、既に復興したと思っている。「東北は復興した」とPRしている。


【3】 相馬市大野台第7仮設住宅 南相馬市小高区の方々 7月3日
(写真5,6)
・この仮設は、相馬市郊外(山麓)の大野台工業団地にある9ヶ所の仮設住宅の一つ。小高区の方が多数。
・建設戸数162戸。
・軽井沢キリスト教会・後藤牧師・The PAGARAGANS(パガラガンFamily)のイベントに、要請があってお手伝いした。
・サマリタンハウスから約21㎞・30分 原発被災者の仮設住宅としては最も近い。
・提供したのは、フラダンスとカフェ(私が担当したのはコーヒー)
・奉仕者は、軽井沢キリスト教会員4名、後藤牧師 パガラガンFamily7名、石川和宏(相馬キリスト福音教会の東頭牧師夫妻も参加された)
・小高区の人が多い。浪江の人いる。また、津波だけの人もいる。境遇が様々で、難しい面もある。加えて、原発と利害関係があったか否かも住民同士が一致できない原因になっていると聞いた。
・掲示板を見ると、7月のイベントはこれだけ。
・始めて富岡町出身の方にここでお会いした。

支援の結果
・参加者15人(男性1名)他に軽井沢キリスト教会員4名 後藤牧師 東頭牧師夫妻 パガラガンFamily7名
・後藤牧師と個人的にも親しい方が近隣の仮設住宅から参加されていた。 皆さまからお聴きしたこと
・富岡町から避難した。川内村・会津への避難を経て、この仮設で4ヶ所目になる。
・居住制限区域に家がある。除染は終わったがいつ帰れるのかは分からない。
・息子が原町にいるのでこの仮設を選んだ。
・原町に住んでいたが放射能からの避難で大野台に来た。4歳の子は、当時生後4ヶ月だった。夫とは2住生活で、週末には帰ってくる。(母親と幼児3人(5歳・4歳・1歳)のご家族)
・幼稚園の線量は0.08まで下がった。原町に戻る予定でいる。

大野台仮設住宅の食事提供打ち切り
この仮設では、3日前に「安否確認を兼ねた食事提供の打ち切り」が行われていた。
以下、毎日新聞の報道(07月01日付 抜粋)
東日本大震災:食事提供打ち切り 相馬市仮設住宅、退去者相次ぎ 福島地方版
相馬市は30日、市内の仮設住宅・災害公営住宅の住民代表者を集めた会議を開き、安否確認などのため仮設住宅で震災後続けてきた高齢者や子供への無料の食事提供を6月末で打ち切ることを正式に伝えた。4月以降、自宅や災害公営住宅などに転居するため仮設住宅から退去する住民が相次いでおり、配食を担当する住民の確保などが難しいとして打ち切りを決めた。 仮設住宅の住民への食事提供は相馬市独自の取り組みで、毎日1回夕方に集会所などに取りに来てもらう。住民の健康維持と安否を確認するのが目的。打ち切りにより市担当者や住民同士の意思疎通が薄れる不安もある。 同市内にある1500戸の仮設住宅のうち、現在も入居しているのは約600世帯。食事提供の希望者は6月15日現在で250人程度に減っていた。同市の仮設には南相馬市、浪江町、飯館村の避難者らも入居しており、相馬市が食費を負担し続けるのは難しいという財政上の判断もあった。


【4】 相馬市大野台第6仮設住宅 浪江町の方々 7月4日
・この仮設の立地などは、前項の大野台第7と同じ。居住者は全員が浪江町民
・軽井沢キリスト教会・後藤牧師・パガラガンFamilyのイベントに要請があってお手伝いした。
・165戸建設 145戸入居中
・サマリタンハウスから約36㎞・56分
・提供したのは、フラダンスとカフェ(私が担当したのはコーヒー)
・奉仕者は、軽井沢キリスト教会員4名 後藤牧師 パガラガンFamily7名 石川和宏

支援の結果
・参加者28名(男性2名) 他に奉仕者が軽井沢キリスト教会員4名 後藤牧師 パガラガンFamily7名

皆さまからお聴きしたこと
・牛の肥育業をしていた。牛の世話があったので、飯舘村から避難するのが遅れた。
・その後、牛は処分せざるを得なかった。名前をつけて可愛がっていたのだが。
・牛を飼い始めたのは、年を取っても出来る仕事だから。
・ブロイラーでニワトリを1万羽育てていた。年商は1億円以上あった。
・幸いに当時は出荷直後であり、原発爆発の4日後に次の「ヒナ」が到着する予定だった。
・一日中鳥の世話をして忙しい毎日だった。今は、暇なので痩せてしまった。
・減収を補償してもらうには、7年前に遡って収入を証明しなければならない。

軽井沢キリスト教会(同盟教団・茂木牧師)のこと
大野台第7(3日浪江町)大野台第6(4日飯舘村)は、今回協力要請を受けて軽井沢キリスト教会と後藤一子牧師(同盟教団)による仮設でのイベントに帯同した。今回で3度目。
パガラガンFamilyのフラダンスがメインで、「café de FUKUSHIMA」は、カフェを受け持った。3日夜にはサマリタンハウスにお出で頂き皆さんで食事と懇談をした。
キリスト教会が福島支援で協力し合うこのようなケースは、まれなことであり、今後も協力して、被災者の方々に仕えたい。

パガラガンFamilyのこと(写真7)
2014年7月TEAMの宣教師として家族7人で来日したハワイ出身の一家。軽井沢で日本語の勉強をして現在は都内に在住している。
パガラガンFamilyは、軽井沢で日本語を勉強中に軽井沢キリスト教会(同盟・茂木牧師)で被災地支援の話を聞き、「ぜひ私たち一家も」と願い出て今回のイベントが実現した。サマリタンハウスに宿泊して頂いた。
「また訪れたい」と願っておられたので、機会を提供したい。日本人でも忘れているのに海外の方がこのような志を持ち、行動していることを尊敬する。


【5】二本松市 永田農村広場仮設住宅(浪江町民)2015年7月6日
・この仮設は二本松インターから約10分。かなり郊外にある。
・サマリタンハウスから高速道路経由で約100㎞・1時間30分
・浪江町役場避難生活支援課に紹介して頂き訪問した。
・提供したのは、DVD上映(綾小路きみまろライブ第2集)・カフェ・軽食
・奉仕者は石川和宏
・30世帯の仮設で参加が8人なので参加率としては高い。
・町からは遠い山麓にあり、徒歩圏には店がない。
・仮設住宅付近の放射線量は0.07µSv/h(集会所に掲示されていた値)。
・浪江町社協の方3名が挨拶に来られた。
・研いだ庖丁を配っている時に、数名の方としばし包丁と料理の談義をした。

支援の結果
・参加者8名(全員女性)
・参加者にお聞きした避難の内訳は、帰還困難4名、準備区域3名、居住制限1名
・包丁12世帯22本(ナタ4、草刈り鎌2、ハサミ2)

皆さまからお聴きしたこと
・浜通り(浪江)の魚は新鮮で旨かった。
・下水道が復旧するのは4年後
・放射能は、雨で上から下に流れる。上をまず除染しないと意味がない。
・除染を下から始めるのは金を捨てているようなものだ。
・福島の山を裸にしなくてはならない。
・近所に仮置き場が出来てしまった。100メートルくらいの風下なので戻れない。「みんなが判子を押した」と言われ自分たちも押したのだが…。
・家は瓦一枚落ちていない(地震での被害)のだが、戻れない。

「パンダ」という犬の話し(写真8)
この仮設で、研ぎ上がった庖丁をお届けしている時に「パンダ」という名のイヌに出会った。原発爆発後の2011年4月22日に横浜から来たボランティアによって保護された。パンダは、その後横浜に行き、次に飛行機で新潟県の赤生木へ。飼い主は、檜原湖の民宿にいたが、1年2ヶ月後にインターネット経由で発見された。飼い主は、新潟まで車で迎えに行き再会し引き取った。このことは、NHKも取材に来て報道された。しかし、犬を置いて避難したことをネットなどで非難された。(写真は「犬猫救済の輪犬猫里親会」のブログより)


【6】福島県国見町 上野台(わのたい)仮設・大木戸仮設(飯舘村)2015年7月8日
(写真9、10)
・この仮設は、国見町の仮設で一番早く出来上がった。避難所から直接移られた方もいる。
・国見町は活断層の上にあり地震で損壊した家が多く、そのための仮設住宅を町が建設し、同時に飯舘村からの原発被災者も受け入れた。現在では地震被災者はほとんど退居している。入居開始は2011年6月5日。
・大木戸(7世帯)と一体で集会所を持っている。
・飯舘の方は、4戸が退居し現住者は20世帯。
・飯舘村役場避難生活支援課の仲介で訪問した。
・サマリタンハウスから一般道経由で約45㎞・1時間15分
・提供したのは、DVD上映(綾小路きみまろライブ第3集)・カフェ・軽食
・奉仕者は石川和宏
・仮設住宅周囲の放射線量 1mで0.07~0.10μSv/h 10cmで0.07~0.10μSv/h(集会所掲示板の記載値)
・買い物は、週2回バスが来てくれる。
・病院(2ヶ所)には、村のマイクロバスが連れて行ってくれる。
・20世帯で11人参加なので、割合としては非常に多い参加者だった。
・聞いたところ曹洞宗のお坊さんも来るということで、その頑張り具合に感心した。(この日は、大木戸に曹洞宗が来ていた。7世帯の仮設にも出向くことには驚いた。)
・こんなにしてもらって涙が出る(高齢の婦人・涙を拭きながら)(サマリタンハウスについて尋ねられ、関心を持ったらしく)1回行かせてくれ。連絡する。(農業をしていた男性)
・3時くらいまで皆さんとお話しが出来た。

支援の結果
・参加者11名(男性2名)
・庖丁研ぎ10世帯 24本(草刈り鎌2 ナタ2 ハサミ3)

皆さまからお聴きしたこと
◇3.11後のこと
前日まで偉い先生が「心配ない」と言っていたのに、翌日突然「避難指示」が出た。信じられない。

◇現在の暮らし
・飯舘時代には何でもなかった人が認知症になった。
・前よりも動かなくなったことでいろいろな障害(症状)が出ている。

◇放射能汚染・除染・古里の様子
・村のアンケートでは、除染し避難指示が解除になっても帰る人は30%。若い人は戻らないだろう。
・先に避難指示解除になった川内村よりも飯舘村の方が線量が高い。
・一時帰宅をすると泥棒がこちらの様子を伺っている。帰るのを待っている。
・たくさんある布団をネズミにかじられて、使い物にならない。
・庭の花を株ごと盗まれた。以前は家に鍵も掛けない村だったが。

◇補償・帰還・復興
・飯舘村の借家(アパート)に住んでいた人は、月10万円の補償金しか出ない。
・大熊町(原発立地自治体)は、居宅については古くても100%(再取得価格)が補償される。
・築後100年の家に住んでいた。屋根に穴が空いて空が見える。雨漏りがする。補償は建ててから何年で価値を査定(減価)されるが、それでは修理費用も出ない。
・家は、小さい学校の校舎くらいの大きさがあり、茶の間でも20畳ある。解体するにしても費用は出るのか心配。リフォームするにしても、水回りだけで1,000万円掛かると言われている。
・行政のトップの家族は既に村の外に家を買っている。
・政府などが、除染の完了時期や帰還できる時期を決めてくれないと、我々は帰還するか、時期はいつかなど、将来のことを決められない。
・福島市に家を建てた友人が、近所に引越挨拶のタオルを配ったら、翌朝玄関先に多数投げられていた。
・千葉市に避難している友人は、年に4回もタイヤがパンクせせられた。福島ナンバーを現地ナンバーに変更した。


【7】今回出会った方など
・合計109名(避難者の人数) 庖丁研ぎ61世帯 103本
・戸数の少ない仮設住宅も訪問したが、多くの方に出席して頂いた。
・仮設では、イベントがあっても参加者は減っている。AKBも毎年来ているが、最近は空席も多いとも聞いた。また、芸能人のイベントでは参加者がなかった集会もあったと聞いた。
・しかし、実際にはボランティアがほとんど来ない所、入居世帯数に較べればとても参加者が多い所もある。招く側として「参加して出て頂ける中身」を練り上げて多くの方々に出会いたい。


【8】「子供を放射能の心配のないところで遊ばせるプログラム」(写真11、12)
社協の方に夏に予定しているの「子供を放射能の心配のないところで遊ばせるプログラム」(主催名古屋岩の上教会)参加者募集を行う所として南相馬市の高平児童館を紹介して頂いた。また、主催教会の依頼を受けて候補地・南蔵王青少年旅行村(七ヶ宿町)の下見をし、放射線量の測定をした。敷地内の小川の泥を採取し、東北ヘルプいわき食品放射能計測所(いわき市日本基督教団常磐教会内 明石義信所長)に持ち込み、測定を依頼した。明石所長(牧師)には、お忙しい中時間を割いて頂き、いわき市の汚染の現状について種々教えて頂いた。このような施設が身近に存在することは、原発被災地の支援をする者にとって大きな助けになる。


【9】「なみえ平石“絆”プロジェクト」(写真13、14)
二本松市旧平石小学校仮設住宅(浪江町から避難した方々・天野自治会長)を訪問し、古着をお届けした(今回で2回目)。昨年訪問した時に、古着をリサイクルする仮設住民の活動・「なみえ平石“絆”プロジェクト」を知り、関係者に協力頂き古着を集めた。和服などもチョッキや帽子・小物入れにリサイクルしている。(写真)
古着は未だ必要とのことなので、出来れば販売も含めて、引き続き協力していきたい。
 





写真1 南相馬市 牛河第二仮設住宅(1)


写真2 南相馬市 牛河第二仮設住宅(2)


写真3 南相馬市 西町第一仮設住宅(1)


写真4 南相馬市 西町第一仮設住宅(2)


写真5 南相馬市 大野台第七仮設住宅(1)


写真6 南相馬市 大野台第七仮設住宅(2)


写真7 バガラガンFamily


写真8 飼い主と再会したパンダ


写真9 国見町上野台(わのたい)仮設・
大木戸仮設(1)


写真10 国見町上野台(わのたい)仮設・
大木戸仮設(2)


写真11 南相馬市高平児童館(1)


写真12 南相馬市高平児童館(2)


写真13 なみえ平石"絆"プロジェクト


写真14 作成されたバッグや小物

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