出会いの連鎖

2012年下半期を振り返り、2013年を望見する

皆さま、あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。2013年最初の記事をお届けさせていただきますが、この記事はここ数ヶ月の私たちの活動を象徴した、長いものとなりました。

今回はその記事を4回にわたって更新させていただき、新年のご挨拶に代えさせていただきたく存じます。

どうぞ本年もよろしくお願いいたします。

以下のリンクをクリックいただきますと、各記事の冒頭から読むことができます。

(1)「菅英三子 チャリティー・コンサート」

(2)「東北ヘルプ親善大使 崔徳信」

(3)「仙台市民クリスマス」と「崔徳信クリスマス・コンサート」

(4)「2012年12月14日」

(2013年1月7日 阿部 記)

2013年になりました。新しい年の最初に、私たちはこれまでの歩みを振り返っています。

東北ヘルプは、1か月で終了することを目指して始まりました。それが2013年に至っても活動を続けていることは、不思議です。その歩みは、「出会いの連鎖」の物語として回顧されるものと思います。

2012年の冬、東北ヘルプは、11月24日に「菅英三子チャリティー・コンサート」を、そして12月14日に「崔徳信クリスマス・コンサート」を主催しました。更にその背景には、40年ぶりに復活した「仙台キリスト教連合主催・仙台市民クリスマス」の開催がありました。それは、2012年の夏から冬にかけて展開した、一繋がりの「出会いの連鎖」でした。

以下、その経緯について、感謝を込めて、皆様にご報告いたします。

1.「菅英三子 チャリティー・コンサート」

東北ヘルプは、今、組織の改編を始めています。

これは、11月1日の全体会の承認に基づくもので、現在の財団法人を中心とした体制から、NPO法人を中心とした体制へと漸次的に移行し、「細く長く」活動を続けて行けることを目指しているものです。

その最初の活動は、「有料協賛会員」の募集から始まります。「有料協賛会員」を100名募ることができたNPO法人は、「認定NPO法人」となることを申請することができます。もし「認定NPO法人」となることができれば、寄付者への税控除等の特典を得られることになり、社会的信用を獲得することができるのです。

この活動の最初に、世界的に知られるオペラ歌手の菅英三子さんがお力を貸してくださいました。昨年の晩夏、菅さんは、東北ヘルプのためにチャリティー・コンサートを開催しようとお申し出くださったのです。思いもかけない大きなご好意に、私たちは心から深い感謝を覚えました。後述しますが、実は、菅さんは東北ヘルプ(その正式名称は「仙台キリスト教連合被災支援ネットワーク」)と、とても深い関係をお持ちの方だったからです。

そして2012年11月24日、コンサートは開催されました。そしてこの日、初めて、「協賛会員」の募集が、このコンサートで行われたのでした。東北ヘルプの新しい一歩は、ここに始まったのです。

私たち東北ヘルプは、今までに何度もチャリティー・コンサートに「呼んで頂いた」ことがあります。しかし、仙台キリスト教連合の催事を別にしますと、自分たちで行事を最初から最後まで執り行うことは、初めてでした。多くの足りない点がありました。しかし、コンサートはとても素晴らしい内容となりました。仙台キリスト教連合関係の催事としては、過去最多の集客となり、会場はとても温かい空気に包まれたのでした。

2.「東北ヘルプ親善大使 崔徳信」

11月のチャリティー・コンサートに至る菅さんとの出会いの出来事に並行して、東北ヘルプはもう一人のアーティストとの出会いに恵まれました。そのアーティストとは、崔徳信(チェ・ドクシン)さんです。そしてこの二つの出会いが、12月に一つに繋がります。一つの出会いは、また一つの出会いと繋がり、そうして祝福の連鎖が生み出されるのです。

韓国のキリスト教音楽は、80年代に大きな転換点を迎えました。当時、若者を中心として、それまでの伝統的な讃美歌だけではない、ポップスやフォーク、ロックンロールといった自分たちになじみ深い音楽を用いて讃美歌を歌いたいと考える人々が生まれていました。やがてその流れは大きなものとなるに及び、まったく新しい讃美歌が生み出されます。その新しい讃美歌はCCM(Contemporary Christian Music)と呼ばれるようになりました。この新しい讃美歌は、多くの人々の慰めとなり、力づけ、あるいは献身者として立ち上がらせるきっかけとなったのでした。

この流れは一人のアーティストによって生み出されたものでした。そのアーティストが、崔徳信(チェ・ドクシン)さんでした。崔さんは、「その名」「私」「あなたを愛す」などといった曲で、韓国における讃美歌の可能性を大きく広げた人として知られています。

私たち東北ヘルプは、2012年9月17日、在日大韓基督教会等の関係各位のお力をお借りし、韓国キリスト教協議会(KNCC)の皆様をお招きして、在日韓国基督教総協議会(CCKJ)とご一緒に「第二回東北日韓キリスト者信仰回復聖会」を、仙台にて開催いたしました。この催事は、既にホームページでお知らせ致しました通り、2011年11月に行われた第一回の聖会に続いて行われたもので、盛会の内に終了することができました。

力強いメッセージと音楽が中心となったこの会に、崔さんは出演アーティストの一人として来日くださいました。更に崔さんをはじめとしたアーティストの皆さまは、聖会の後、被災地域の仮設住宅をいくつも回ってくださり、音楽と祈りをもって、傷つき困難の中にある人々を励ましてくださったのです。(このことも、既にホームページでご報告いたしました通りです。)

被災地の仮設住宅ですから、そこにスポットライトが当たる舞台はありません。それでも皆さまは心を込めて音楽のメッセージを被災地に届けてくださったのです。それは、東北で支援を続ける私たちにとっても大きな励ましとなりました。皆さまの熱意は、震災から2年を経ようとする中でなお、多くの方が祈ってくださっていることを雄弁に伝えてくださったのです。

聖会と仮設住宅訪問が終わる頃、崔さんをはじめとしたアーティストの皆さまと私たちは打ち解け、信頼関係を確かなものとしていました。その中で私たちは多くのお話を伺いました。それはなぜ崔さんが無名に近い私たちの会に参加してくださったのかというお話でした。

崔さんは、中学校から高校にかけての4年間を、日本で過ごしていたことがあったそうです。お父様は、栃木県にあるアジア学院で学び、北海道で農業に関わる研究と働きに従事されたのでした。そのために多感な時期を日本で過ごした崔さんは、自らの人生にも音楽にも、日本の文化が大きく影響しているとお話しくださいました。そして韓国に帰国され音楽大学を卒業し、音楽家として活動され有名になられた中でも変わらず、日本への愛着を持ち続けてくださったのでした。

そうした中、今回の東日本震災が発災します。大きな地震に揺さぶられ、津波に呑みこまれて跡形もなくなってしまった田畑や家々。そして雪の中で寒さに震えながら何日も過ごさなければならない人々。テレビの画面を通して写されるその光景はあまりに衝撃的なものであったと、崔さんは語ります。

崔さんはそれから何度も日本に足を運び、韓国で支援の働きを始めてくださいました。そうする中で今回、私たちの聖会の事を知り、駆けつけてくださったのだというのです。

崔さんの日本への温かい想いに、私たちは胸を打たれたのでした。

被災地という大きな問題の前に、私たちは今なお立ちつくしています。そしてこの9月に崔さんは音楽を通して被災地の私たちを支えようとしてくださった。すべての予定を終えて帰国されることになったとき、私たちは、崔さん一つのお願いをしてみることにしたのでした。それは、崔さんに「東北ヘルプ親善大使」になっていただけないか、というお願いでした。厚かましい申し出でした。しかし崔さんはにっこりと、確かな笑顔で引き受けてくださったのでした。

3.「仙台市民クリスマス」と「崔徳信クリスマス・コンサート」

上記の出会いは、菅さんのコンサートを準備する中で並行して起こった出来事でした。そして更に、菅さんのコンサートはその過程で一つの新しい(そして遥かに懐かしい)催事を生み出し、その催事に崔さんが合流することになります。

菅さんから「11月にチャリティー・コンサートを」とのお申し出を頂いたことは、私たちにとって、とても意義深く感じられました。その意義とは、仙台キリスト教連合の歴史が想起させるものでした。

東北ヘルプは、仙台キリスト教連合の震災対応の部局です。仙台キリスト教連合の前身は、日本基督教団の牧師会でした。1970年代、日本基督教団の仙台・塩釜地区牧師会が他教派の牧師を招く形で、仙台キリスト教連合は緩やかに始まったのでした。当時、招かれ集った超教派の牧師たちは、協働して「仙台市民クリスマス」を開催していました。

1988年、この牧師会の代表であった菅隆志牧師が急逝されます。この菅牧師こそ、菅英三子さんの御尊父でした。この時、菅牧師の後任として、初めて日本基督教団以外の牧師が、仙台キリスト教連合の代表となります。そしてその翌年、「大嘗祭」という出来事が起こり、仙台圏の教会の立場を声明文として表さなければならない事態となる。こうして、名実ともに「仙台キリスト教連合」が誕生します。

こうしてみますと、菅隆志牧師は、仙台キリスト教連合にとって、その立ち上がりの節目に常に思い出されるべき大切なお名前である、と言えるでしょう。その菅牧師の御愛娘である英三子さんが、仙台キリスト教連合の建てた東北ヘルプのためにお力をくださることに、不思議なつながりを覚え、私たちは深い感慨を覚えたのでした。

東北ヘルプ事務局長の川上は、チャリティー・コンサートの準備の途中、感謝を込めてこのことを菅英三子さんにお伝えしました。その時、菅さんは、御尊父がお元気であった頃、仙台キリスト教連合が主体となって「仙台市民クリスマス」が開催されていたことを懐かしく思い出されました。そして、その復活ができればと、川上と英三子さんは、夢を語り合ったのでした。

すると数日後、菅さんから電話があります。「仙台市民クリスマス」を行うのにちょうどよい日程で、ちょうどよい会場が予約できたので、やりましょう、と。

そして、2012年12月14日午後7時から、仙台キリスト教連合が主催して「仙台市民クリスマス」が約30年ぶりに行われることとなったのでした。主催は「仙台キリスト教連合」となり、牧師・信徒約40名による聖歌隊が編成されました。「クリスマスは教会へ」というメッセージを中心として、9月から準備が始まります。

そして、この催事を知った崔徳信さんが、参加しますと、お申し出くださいました。それは、崔さんの被災地への変わらない想いを示してくださったものでした。私たちはとても喜びました。

そこで私たちは、崔さんに、正式な形で「親善大使」をお願いする式を持たせて頂こうと考えました。そして、この式を最後のサプライズとした「崔徳信クリスマス・コンサート」が、12月14日の2時半から、つまり同日夜に行われる「仙台市民クリスマス」の付帯事業として、セットされたのでした。

4.2012年12月14日

以上のような経過を辿り、二つの催事が一つに結び合わされました。つまり、2013年12月14日の午後2時30分から、東北ヘルプが「崔徳信クリスマス・コンサート」を、そして同日午後7時半から、仙台キリスト教連合が「仙台市民クリスマス」を、それぞれ開催することとなりました。

「仙台市民クリスマス」に向けて、菅さんは、毎週日曜日の午後5時から行われた聖歌隊の合唱練習に、ほぼ毎週参加してくださいました。また、菅さんは、声楽家の高橋絵里さんに指導をお願いして下さるなど、きわめて豊かな時を聖歌隊が過ごすことができるように、行き届いたご手配をくださいました。更に、チラシや当日のパンフレット等のデザイン、聖歌隊参加者への連絡のための名簿作成なども担ってくださり、その準備から開演まで、文字通り中心的な役割を果たしてくださったのでした。

「クリスマス・コンサート」に向けて崔さんは、前日12月13日に来日くださり、まず南三陸町へと足を運んでくださいました。崔さんは津波で根こそぎ失われた南三陸の町を見つめ、12月16日に開催される地元の子ども会のチラシ配りを、誰にもお願いされたわけでもなく、手伝ってくださいました。

そうして14日となります。

「クリスマス・コンサート」で崔さんは、共演のYoonji(ユンジ)さんと共に、心を込めて音楽のメッセージを届けてくださいました。

代表曲である「私」「その名」、クリスマスソングからはロックミュージックとして大胆なアレンジを施した「O, Holy Night」、更に、震災時アメリカでレコーディングをされていた崔さんが、その場のアーティストの協力を得て、作成した日本語での讃美歌であり、日本への応援歌でもある「愛する友よ」等を、歌ってくださいました。

美しいメロディーと、そこに込められた讃美と祈りは私たちの心を確かに癒し、神への賛美へと想いを羽ばたかせ、クリスマスの喜びを新たにしてくださるものでした。

素晴らしい賛美の時間を共にした後、東北ヘルプの吉田隆代表から崔さんに「東北ヘルプ親善大使任命状」を授与する式が行われました。

その後、夜7時から「仙台市民クリスマス」が始まります。冒頭は、高橋絵里さんの独唱。そして祈祷・聖書朗読・説教の合間にクリスマスの讃美歌が聖歌隊によって奉唱されました。菅さんも崔さんも、この聖歌隊に加わってくださいました。崔さんの「インマヌエル」独唱と、菅さんの「さやかに星はきらめき」独唱に挟まれるようにして、吉田隆代表が説教をしました。「震災の中でも、放射能の恐怖の中でも、神様は、どこにも行っておられなかった。神様はいつも、そばにおられるのです。」というメッセージが、語られたのでした。

そして最後に、

見よきょうだいが 共に座っている

なんという恵み なんという喜び

と語るテゼの歌を以て終了した会場は、文字通り多幸感にあふれていました。

新年にあたり、東北ヘルプは二つの方向へ、広がりと深まりを求めて進みたいと思っています。

一つは、地元にある一つ一つの教会・団体・地域です。現場から離れては、どんな支援も空疎となるでしょう。現場は、足元・地元にあります。地元の教会の一致を求めて、私たちは仙台キリスト教連合の一部として、いよいよ理解と連帯を求めて行きたいと思います。そうした中で、菅英三子さんが協働してくださいましたことは、私たちにとって本当に心強いこととなりました。

そしてもう一つ、今後、東北ヘルプは世界との連携を深めていきたいと考えています。今は特に、韓国の教会の皆様との連携を強化したいと願っています。韓国の皆さまは、政治的な困難が立ちふさがる中にあってもなお、本当に熱い思いで被災地を祈り支え続けてくださっているからです。このことは2年目から3年目の活動を展望する私たちにとって、代えがたい支えとなっています。その連携の中で崔さんが親善大使として両者を繋いでくださることは、やはり本当に心強いこととなりました。

日本と韓国の間に、歴史・戦争・領土等、多くの問題が存在するのは悲しい事実です。また、地元の教会もまた、高齢化の中で震災後の日常を生きる日々に、疲弊し息切れを見せています。

そうした中で、容易く分断が引き起こされることでしょう。しかし分断は何も生み出すことがないのです。私たちが目指すべきは、避けがたく分断が生ずる中で、互いのために和解を訴え、そのために祈り、自らを献げることではないでしょうか。

パウロという人が聖書に有名な言葉を残しました。それは教会という人の集団を、一つの体にたとえる言葉です。パウロは弱い部分に注目します。弱い部分こそが、身体を一つに結び合わせる。だから弱い部分を軽んじてはならないというものです(Ⅰコリ12:20-26)。

私たちの生きる世界においては分断が不可避である、というのが現実かもしれません。それに加えて、震災は多くの人を困難の中に陥れて今に至っています。しかしそこに解決のヒントがあるかもしれない。私たちが震災に痛む人々と共にあるならば、私たちは祈りを通して、何度でも、一つになる可能性を持っているはずです。

私たちは、そのようにして皆共に主に用いられることを通して、一人一人の被災者各位が絶望から抜け出し、希望を見出すことを心から祈り励んでいます。そうした私たちの働きが、混乱の中にある世界に和解を示す「燭台に置かれたともし火(マタイ5:15)」となることを、私たちは望見しています。小さな地元の出来事が、世界の平和に直結して行くのではないかと、望見しているのです。

2012年の下半期を振り返り、そこにあった出会いの連鎖を辿る時、私たちは大望を抱きつつ足元を一歩一歩踏みしめて進むことができるような気がしてきます。

新しい年も、どうぞ宜しくご支援の程、お願いを申し上げる次第です。

(2013年1月1日 阿部頌栄・川上直哉 記)



















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